「未来永劫を考えたら、安いお値段」なのか。

「口止め料、5000万で手を打ちましょう」
「未来永劫を考えたら、安いお値段科と思います。
現役のあなたになら、出来る範囲です」

石崎芳行氏は相手の女性から、このようなFacebookのメッセンジャーを受け取り
5000万という金額が出た時に会社(東電)に相談したと動画で話しています。

この5000万円という金額をどう捉えたらよいのでしょうか。
友人と話した時には、「不倫ならせいぜい200万ぐらい」という話が出たので、
通常の相場からみれば、確かに随分高いのかもしれません。

この5000万円という金額について、相手の女性は文春砲で
「当時はやや感情的になっていたかもしれません。
しかし、私は決してお金が欲しかったわけでもありません。
男としても加害者代表としても、彼の誠意を見れてほしかったのです。
私と向き合ってほしかったので、だから5000万という極端な数字を伝えました」

と答えています。

私自身は宝くじで5000万円当たったらしばらく仕事しなくていいので
宝くじで5000万あたりますようにと七夕の短冊に願いを込めましたが、
未だに叶っていないので、仕方なく働いている身ですが・・・。

この女性が5000万円を感情に任せて要求したことは、
当然かもしれないと思っています。

なぜなら、
この方も被災者の一人であり、原発事故関連で塾を閉じたり(職が奪われた)、生徒がいなくなり
収入がなくなり苦渋の決断をされているからです。

https://ameblo.jp/1130gokusen/entry-12243038356.html
(ブログのリンク)まだ今は残っています。

東電社員に対して、「あなたは突然収入が途絶えて0になるものの気持ちが分かりますか!」と
激怒されたことが書かれています。

私は収入が途絶えたことは何回かありますが、突然というものではない。

でも被災地では、本当に収入も住居も、家族も奪われてしまった・・・・。
もし私がその立場だったらいくら必要だろうか・・・。
借金やローンはずっと膨らんでいくし、新しい家を探してすむにも
100万などすぐに飛んでしまう。
東電が被災者に対して支払った仮払いが100万だったように記憶していますが、
避難生活上ではすぐになくなってしまうでしょう。
それこそ、日常の細々した食事や、通院、移動費用などで。

親戚の家を泊まり渡れる方は少ないと思います。
それは、まさに「火垂るの墓」の戦後すぐのシーンを思い浮かべれば
わかるのではないでしょうか。

収入が途絶えたからと、すぐ就職活動をして決まるものでしょうか。
自営業者であれば、営んでいた事業の後始末と職探しと両方しなければならないので
お金がいくらあっても足らないという状況になっていたのではないでしょうか。
原発事故前に営んでいた事業でローンを抱えていた場合、
それは、利益も見込んでローンを組んでいたのに
利益がぱったりと途絶えた。
避難しろといきなり言われた。
どうしたらよいかわからない。

その点、サラリーマンの方が自営業者の苦悩を想像するのは難しいでしょう。
難しい手続きは会社がやってくれる。
借金やローンがあったにしても、会社が存続していれば何とかなる。
自分の中で会社の経営状態を考えなくてよい人が多いと思います。

石崎芳行氏は相手の女性のことを
金銭面でお困りだったためか、当初から
精神状態が非常に不安定でした。
」と言われています。
この金銭面でお困りだったのが、通常の失業状態が続いていたからではないのに。
原発事故さえなければ、100人以上の生徒からの月謝が収入として入ってきていた。
例え建物などのローンがあっても、生徒が増えて行くのを見込んでいたと
思います。
この点は改めて、気づかされたことです。

文春砲が出た時に、私はこの方のブログも読み、東京23区内にも賃貸できるほどのお金が
よくあるなあ。被災者といってもお金持ちではないかとか思ってしまいました。
だからといって被害に遭われた相当額の賠償はされてしかるべきで
そのために東電も賠償説明会を開いていたはずです。

ここで、この女性が東京電力の賠償相談会に出かけたときの状況を紹介したいと
思います。
先ほどのブログの記事をたどっていくとそのまま書かれています。
ブログが消されてしまったら読めなくなるので
スクショをとりました。



この方は東京電力に賠償請求をされていますが、
「賠償対象外」とされて、以後請求ができない状態です。

しかし一方では、テレビや日本経済新聞・週刊新潮で
「原発避難民がベンツ乗っている」
「東電からもらった賠償金で毎日遊び暮らしている」





という報道がされていました。

このような報道を見た同じ避難生活の方はどう感じるでしょうか。
東電から6500万円も賠償金を貰えて、家も建てられている。
震災前よりよい生活が出来ている。
そういう人がいるのに
なんで自分のところには賠償されないのか!
理不尽だ。

そう感じるのが当然かと思います。
被災地では、こうした理不尽さを抱えた人たち同士のささいなトラブルが
尽きなかったようです。

東京電力の3つの誓いは次の通り。
東電賠償「三つの誓い」

実際はこの3つの誓いは
まったく守られていないから
今もなお各地で「なりわい訴訟」が起こされています。

また、テレビの報道などで、東電からの補償金で贅沢しているイメージが流されたことにより、
自主避難している子供に対するいじめも酷いものです。

本来ならば、こうしたトラブルが少なくなるように
賠償されてこられる方の事情に耳を傾けながら
国から定められた基準にのっとり最大限賠償をすることが本来だったのではないでしょうか。

さて、石崎福島復興本社代表は、この賠償問題について、どのように語っているのか。



2013年7月12日に経済同友会での講演で2分ほど話しています。

「社員だけでは足りないので、委託や派遣の方にもお願いをして、1万人体制で当たっております。
「10兆円かかるとも言われていますが、責任を果たしていく」

賠償業務にとにかく人を集めてやらせて早く終わらせたい、という気持ちは伝わってきました。
1万人体制で行うことが、果たして「東電賠償の三つの誓い」に沿っているものなのでしょうか。
被害者に寄り添う賠償ができるのでしょうか。
戸別訪問をすると書いてありますが、
その1万人体制の、多くは派遣・委託の人間に戸別訪問が出来るだけの知識があるのでしょうか。
せいぜいがルーティン化された事務作業を言われた通りやるのがせいぜいです。

2013年8月29日現在の福島復興本社が出した賠償の状況などは
こちらの資料に詳しいです。
http://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/images/130829_01-j.pdf

私は、賠償、除染を一元化し、福島に寄り添うために設立されたはずの
福島復興本社自体が、役割を十分に果たせていないのに、
賠償も除染も復興推進活動も十分している。
福島はもう安全だというアピールをしてきたことこそが、
今回の一番の問題点だったのではないかと思います。
単に、男女の不倫関係で終わらせてはいけないと思います。

彼女は人間として石崎芳行氏を愛してしまった。
石崎芳行氏もまた、彼女を愛していたと思います。
しかし、置かれた立場の違いは決して乗り越えられるはずがない・・・。
彼女は、原発事故による被災者。
石崎芳行氏は、事故を起こした加害企業の重役であり、
彼にとって一番は東京電力の存続だったこと。
愛した女性が被災者であるにもかかわらず、被災者の痛みに寄り添うことがなかった。
そのことを彼女は被災者側で最も親しく接していてわかってしまい、
苦しんでいたのではないかと思います。

今もなお、福島を中心に全国には、東京電力の賠償方針に納得できないために
裁判を起こしている方が多数いること、
その裁判については、あまり報道もされません。
インパクトとしては、原発賠償金で遊び暮らしている、一部の方の様子の方が
私たちにも大きかったのではないか。
本来は福島復興本社が賠償業務を引き受けるなら、
業務委託化して1万人体制であたっていることよりも
個別事情にじっくり耳を傾ける東電社員を育てるべきだったのではなかったか。


この個別の事情にじっくり耳を傾け、国の定めた基準いっぱいに賠償をしていた
一井唯史氏は、上長から怒られても、意見を通すために身体を犠牲にして闘われた。
心身酷使しながらも、賠償業務を十分することがご自身の東電社員としての使命ととらえて
仕事に励んでいたところ、
寝耳に水のごとく「賠償業務はルーティン化するから」とある日
東電の上から「降りて」きて、激務が続いてうつ病になり、そして解雇となってしまいます。

それだけでなく、
石崎芳行・福島復興本社代表みずからが一部の恵まれた被災者と親しくなることで
それで賠償の義務は果たしていると思っている節があったのではと
思えてなりません。
そのような被災者を紹介する役でもあったのが、石崎芳行氏の相手女性でした。

石崎芳行代表が、Facebookを始められ、正月に避難されている方の
新居に泊めてもらったことを新年あいさつで語られています。

石崎芳行・東京電力福島復興本社代表のこうした行動は、
十分な賠償も受けられないまま避難を強いられている方々には
怒りを抑えられないものだったのではないでしょうか。
あまり表面化されることは少なかったと思いますが。

被災者のある人は、東電の制服を着た石崎芳行氏とも話したこともあり、石崎氏の人間性が好きになった。
東電は許せないけど、石崎芳行氏は人としてお付き合いしたい。
そうは思っていても
でもなにか割り切れないことがどうしてもあると
石崎芳行氏の相手女性に相談をしていたかもしれない。
「福島復興本社とは賠償をやっているというが、いったい何をしているのか」と。
そうでないなら、ブログの最後に福島復興本社について
このようなことはかかないはずです。

福島復興本社のミッションの一つが、賠償業務であるにもかかわらず、
賠償問題について、とにかく人数を多く投入し、早期に片付けたい、そして東京電力を存続させる
ということだけが、実は大切だったのだという本音がちらちら見えてくる。
だから「未来永劫を考えたら安いお値段」と言われてしまったのではないでしょうか。

日本経済新聞や週刊新潮、そしてテレビ番組は、賠償金を貰ってワンランク上の生活している人を
報道するより、真摯にこの木野龍逸氏が撮られた動画のような東電と被災者側のやり取りを
加工を加えず報道してもらいたいです。

真摯にといいながら、報道させないようにしよう、テンプレ謝罪で時間稼ぎをしようとする東京電力と
被災者側のやりとりは、下手な扇動番組より見ごたえがあること間違いありません。


東京電力福島復興本社初代代表

福島復興本社初代代表

石崎芳行氏は、東電内で「一番福島に顔が効く人物」と評価されています。
福島第二原子力発電所長時代、社用車を断って30分ぐらいの道を歩いて出勤されていたという話は
よくご自身でされているので、雑誌などの記事にもなっています。

その石崎芳行氏を代表とする「福島復興本社」が2013年1月1日に設立されることと
なりました。
どのような組織なのでしょうか。

福島県にある全ての事業所の復興関連業務を統括し、
原子力事故で被災された方への賠償、除染、復興推進などについて、
迅速かつ一元的に意志決定し、(太線は筆者)
福島県の皆さまのニーズにきめ細やかに対応してまいります。
また、その内容については、代表定例会見等で公表してまいります。

とあるように、東電副社長である石崎芳行氏を常駐させ、権限をある程度一元化させて、
東京電力による賠償・除染・復興推進活動の中心となる組織だと、
私は上の文章からとらえました。
東京電力ではおそらく意思決定はどうしても遅くなる。
なぜなら、取締役だけで20人ぐらいいるので、彼らを集めて会議をして決めるのも大変。
そして取締役に就任する人ほど、実は福島を知らない。
石崎芳行氏だけは、福島第二原子力発電所長としてのキャリアがある。
それならば、石崎芳行氏に権限を与えようということになったのではないでしょうか。

2013年年頭挨拶

ニコニコ動画
東京電力 福島復興本社 年頭訓示・所信表明 生放送


動画の最後に、「録音などしていない方のために、HP上にアップします」というアナウンスに東電社員がwwwwとなっているのが
面白かったので、文章を東電HPより探して全文掲載します。

http://www.tepco.co.jp/fukushima-revital/images/130104-j.pdf

このたび復興本社代表を任ぜられました石崎です。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、元旦にこの地に入りまして、地域の皆さま方と素晴らしい海から昇る初日の出を見ました。
新たな力を頂いた気持ちであります。
そして、今朝は、この近くの寮から30分かけて徒歩で出社いたしましたが、
この美しい山、海、この素晴らしい環境を、私どもは残念ながら汚してしまったということを改めて強く感じました。
そして、もう一度この素晴らしい自然のある故郷へ、
避難をされている方々が一日も早くお戻りになって頂くことに、とにかく全勢力をあげようと新たに誓いました。
社員の皆さん、思い起こしてください。
私どもが携わっている電気事業は、明治から この福島県に大変お世話になっております。
水力、火力、原子力、長い歴史の中でこの 福島県には大変お世話になってきました。
私どもは大変なご恩を頂いているわけです。
残念ながら今は、このご恩を仇で返してしまっている結果になっております。
しかし、 私どもはこのご恩を忘れてはなりません。必ず受けたご恩はお返しします。
今年は巳年 でございます。古来、巳は受けた恩を忘れないと例えられています。
私自身も今年、年男として、新たな気持ちで受けたご恩をしっかりとお返ししたいと思っております。
私はこの三が日、福島の現場第一線職場を訪問して参りました。
昨年来、福島第一原子力発電所では、命をかけて現場を守って頂いています。
福島第二原子力発電所も、大変な努力があって事故を免れた体験をしております。
原子力部門だけではありません。
福島第一の事故の収束のために流通部門や土木・建築部門をはじめ、
様々な部門の方々が一緒になって命がけで働いて下さっています。
広野火力発電所にも訪問して参りまし た。広野火力は津波で大変な被害を受けました。
社員と協力会社社員は、命からがら高台に逃げました。
そのような中でも、自分の命も顧みずに消防車を守った人たちがいます。何故かと聞きました。
消防車がなければ火力発電所は運転できないという決まりになっているため
、自分の命も自分の車も投げ捨てて消防車を守ってくれたのです。
猪苗代電力所、浜通り電力所の人たちも変電所、開閉所を守るために命がけで頑張ってくれました。
私は感激、感謝しております
昨年来、電気料金の問題、賠償の問題、除染の問題に、
営業部門、用地部門をはじめ、様々な部門の方々に色々な仕事をやって頂いております。
心から感謝しております。
これこそ東電魂の発露だと思いました。
私どもは 取り返しのつかないことを起こしてしまいましたが、必ずこれを克服しなければなりません。
また、東電魂を結集することにより、
福島に100年に亘るご恩を頂いてきたことに対してきちっとお返しすることが必ずできると思っておりますし、
必ずしなければならないと思っております。
福島第一の事故は歴史に残る事故であります。
しかし、それを踏まえたうえで、これもまた歴史に残る大事業である福島の再生に、
私どもはこの東電魂をもって、この責任をしっかり果たし、
受けたご恩を常に忘れず、被災されている方々の苦しみを常に忘れず、
必ずご恩をお返しします。

新たな皆さまと共に今日この場で決意いたしまして、私の所信表明とさせて頂きます。

この所信表明を聞いて、「東電魂の発露」で責任を果たそうという強い意志が伝わってきました。
しかし、肝心の「福島復興本社とは何をしているのか?ということがよくわかりませんでした。

それよりも、なんか戦前に皇道精神をもってすれば不可能なことはない、というようなことを
いわれていたあの方と被るように思いましたのでこの写真を掲げます。


石崎芳行氏の人物像

文春砲による石崎芳行氏評

写真:「福島復興本社設立所信表明時の石崎芳行氏」ニコニコ動画のスクショ
石崎芳行氏

 「震災直後から、原子力・立地副本部長として避難所を回り、
『我々が出来ることはなんでもやります』と謝罪を続けていた、
朴訥で生真面目を絵にかいたような人です。

家族を東京に残し、単身赴任で福島の社宅に住んでいます。
17年6月に福島復興本社代表を退任し、福島担当特別顧問に就任する際の会見では
『生涯をかけて福島のためにしっかり力を尽くす』と語っていました。(地元記者)」

私はこのような石崎芳行氏とYoutube動画上で初めて出会ったのがこの動画でした。



2011(平成23)年5月4日。あだたらに避難されている浪江町の被災者に対して
清水正孝社長の隣で、体調不良が続いていた社長に代わって合図を出しながら
土下座して謝罪している姿でした。
この動画を観ると、謝罪に慣れていない清水社長のうつろな表情。
石崎芳行氏と最初に罵声を浴びる大役を務められた方(この方も調べると、現在東電役員になられている)
が東電側として仕切っていることがわかります。
日本経済新聞のこの記事

一番左側に、当時原子力定例会見でも司会をしていた東電本店広報課長「デニーロ」氏もいるのがわかります。

事務系出身の福島第二原子力発電所長

石崎芳行氏の経歴をまとめてみました。

石崎芳行氏の経歴を以下の通りまとめてみました。

法学部を卒業されて事務系社員として入社され、営業部長や、広報部長などを歴任し、電気事業者連合会や動力炉・核燃料開発事業団にも出向された経験もあります。
各部署や出向先での人間関係を築かれた上で、畑違いの「福島第二原子力発電所長」に就任されます。
東京電力における原子力部門というのは、あまり他部署との人事交流もないところらしいです。
例えば、蓮池透氏(東京電力原子力部門。入社は石崎氏と同時期)によると
「他部門とはほとんど交流がない」ところで、原子力部門から他の部門に行くことが
少ないらしいです。
そして、福島の原子力発電所近くは、「町の中に東電がいる」のではなく
「東電の中に町がある」とのことです。
もともと寂しい街で、原発が出来てから国からの交付金や固定資産税が入り、ハコモノが次々と立てられたとか、
発電所関連への地元雇用で勤務している人とその家族が生活をしているという感じだったようです。
そして東電社員が街に溶け込んでいたというのはなかったらしいです。
なお、蓮池透氏は、本店勤務が長く、高速増殖炉の研究に携わったことがきっかけで、
「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と確信を持たれたようです。


原子力部門から他部門への異動が珍しいことは、
@onodekita 氏が先輩でもある姉川尚史氏が原子力部門から電気自動車開発部門へと
希望をだして異動された逸話からもわかります。
電気自動車から、柏崎稼働に走る姉川尚史常務の思い出

「石油エネルギーに頼り切っているクルマ社会を変えなくては」

 東京電力で原子力発電所を担当する技術者だった姉川尚史(たかふみ)さん(50)が、
電気自動車(EV)の開発を進めたいと会社に申し出たのは2002年のことだった。
 電力会社の花形部門から、海の物とも山の物とも分からない新分野への異動希望に上司らは驚がくした。
 電池でモーターを回すEVは、排ガスが出ず、環境に優しい乗り物として、
18世紀から始まる自動車開発史の中で常に注目され続けてきた。
が、航続距離の短さなどで普及せず、ガソリン車の後塵(こうじん)を拝してきた。

 当時は、充電に8時間もかかって航続距離は100キロ程度、価格は何百万円……。
「EVの普及は難しい」。
社内でもその見方が大勢を占める中、
姉川さんは、「地球温暖化が進む、これからの社会には絶対に必要なもの。だからこそ自分にやらせてほしい」
と粘り強く説得を続けた。

 姉川さんは大学院で原子力工学を学び、同社の発電電力量の38%を占める原発事業に約20年間、携わった。
発電の世界では、早くから石油だけでなく、原子力、天然ガス、水力と特定の電源に偏らない分散化が進められてきた。

 生活者の足であるクルマはそうではなかった。

 姉川さんの熱意に会社も重い腰を上げた。「やる以上は退路を断ってやれ」。そう送り出された。」

石崎氏の場合は、動燃出向の経歴を買われたのか、事務系出身なのに原子力部門、しかも発電所長抜擢に
かなり苦労されたらしいです。
弘兼憲史氏のインタビューでは次のように答えられています。

http://news.livedoor.com/article/detail/11648787/

【弘兼】聞きづらい質問になりますが、東電には隠蔽体質というものがある。
特にそれはいわゆる原発を扱う「原子力屋」に顕著のような気がします。
中にいる石崎さんはそのことをどうお考えですか?
【石崎】私は原子力部門、その体質に対してものすごく批判的でした。
動燃(※)が「もんじゅ」で事故、東海村でアスファルト火災事故を起こしたことがありました。
私は動燃に出向して、動燃改革に関わりました。
そして、原子力ムラの常識に唖然としました。彼らはとにかく優秀です。超優秀です。
しかし、社会常識がない。
「俺たちは30年間これでやってきた。お前みたいな事務屋に何がわかるんだ」という態度でした。
【弘兼】そんな「身内意識」が強い中に飛び込んで、どうしたのですか?
【石崎】当時は事故隠しなどで、「嘘つき動燃」などと呼ばれていました。
このままでは組織として持ちませんよ。社会から認められなければ、
どんなに凄いことをやっても駄目ですというのを、1人ひとりに会って懇々と話し合いました。

※動燃……動力炉・核燃料開発事業団。高速増殖炉、新型転換炉の開発を専門とする事業団だった。

最初は元々原子力部門育ちの部下たちと関係をつくるのも大変だったのでしょうが、
増田尚宏氏と尊敬信頼関係を築き、あまり地元の住民と東電社員との関係が少ない場所においても
積極的に入っていき関係づくりを大切にされたように思えます。
増田尚宏氏との関係は、のちの福島復興本社と廃炉推進カンパニーでペアになるぐらい強い信頼関係だったようです。
私でも、自分がメンタルが強くてこの人に仕えられるような立場なら尊敬していたかもしれない、そんな人のように
見えます。

そして、最近Twitterで知ったところによると、勝俣会長主催の「御前会議」に福島第二原子力発電所長時代出席を許されていた
とのことでした。


これはすごく興味深いです。
石崎芳行氏以外、例えば福島第一原子力発電所長も「御前会議」に出席していたのか。
など人事面で興味深いです。


【文春砲】“福島復興の顔”東電元副社長懺悔告白

久しぶりにブログ記事を書きます。
内容は「軍人の道は一本道」とはそぐわないかもしれません。

四月の初めのこと
いきなり衝撃的な動画が飛び込んできました。

さらにネット上の記事でも話題になりました。
被災者と男女の関係に 東電の元副社長が語る交際とその後のトラブル

東電副社長で初代福島復興本社代表でもあった石崎芳行氏が
男女関係をもっていた被災地運動家女性から5000万を要求され
東京電力(の福島担当特別顧問)を退任したというニュースです。

文春砲の当該記事によると・・・

「この半年間、悩み続けてきました。恐怖で眠れないこともありましたし、
どうしたら死ねるのかという考えも頭をよぎりました。
ただ文春から取材の連絡がきた時に決心しました。
もう洗いざらいお話しようと。
そのために昨日、会社に退職願を提出しました。
会社や家族、被災地の方々にご迷惑をかけてしまい。本当に申し訳ない気持ちで
一杯です。」という書き出しで

以下のことが書かれていました。

  • 東電元副社長(元復興本社代表・福島特別顧問)石崎芳行氏が、被災地の運動家女性と不適切な関係であることを認め、東電に退職願を自ら提出した。
  • 彼女とは互いに恋愛関係でもあった時期もあったが、石崎氏から距離を置くようになり、それで関係が悪化していった。
  • 彼女から「口止め料、精神的慰謝料5000万で手を打ちましょう」「未来永劫を考えたら安いお値段」「私の一言ですべてが公になります」などというメッセンジャー(Facebookのメッセージ機能)が来た。
  • 彼女は石崎芳行氏に「私に対する賠償を認めるよう東電に指示してほしい」と言ったこともある。
  • 石崎芳行氏がいかに東電副社長の権力をもってしても賠償ルールを変えるのは無理。
    →石崎氏が彼女主催の講演会に出席すること(事実制服姿で出席している)、
    →石崎氏から電力関連団体に働きかけて、彼女に講演してもらうようにした。
    →石崎芳行氏が「電気新聞」記者に対し、彼女を取材し、原稿料を規定いっぱいの100万ほど支払うよう依頼。
    →石崎氏は彼女が出版に携わった放射線に関する小冊子を購入するよう、福島の企業や電気事業連合会に協力をもちかけた。

  • 彼女は「東電の姿勢や石崎の被災地に関わる姿勢を世に問うて欲しい」と文春の取材で答えている。
  • 記事の出た四月初めには、Twitterでも、Youtubeでも
    「パヨク運動家にやられた東電副社長」「ハニトラにひっかかった」などという反応が多かったです。

    私も最初は、どちらかというと石崎氏と関係を持った女性の方が酷いと思っていたものでした。
    ゆすりではないか?と。
    5000万円を要求するとは、いくら何でも不倫清算にしても高すぎると、いろんな人と話したものです。

    私は、次第に石崎氏に「口止め料、精神的慰謝料5000万で手を打ちましょう」とメッセンジャーを送った彼女の意図とは何だろう。
    石崎芳行氏とその女性との関係は、男女関係のもつれだけでは終わらせられないと思うようになりました。
    なぜなら、石崎芳行氏は、彼女や彼女の周囲の人間関係を利用し、東電主導の福島復興活動のアピールをしていたから。

    本当は「男女関係のもつれ」で終わらせてはいけないのではないでしょうか。
    私は、石崎芳行氏に対するイメージは、
    「人当たりがいい人」
    「どんなところでも東電の制服を着て被災者の輪に加わる努力をするひと」と思っていました。

    軍人という方々が軍服を着ることは、軍組織に対して忠実であるということを意味していると、 洪 思翊(こうしよく)中将の大東亜戦争敗戦の時の言葉から学びました。

    大東亜戦争で敗戦側となった洪 思翊中将。
    朝鮮半島に日本の陸軍中将という立場を捨てて帰り、指揮官として活躍できるチャンスさえあった。
    それも捨てて戦争犯罪者として絞首刑を受けたのはなぜなのか。
    その答えが
    「自分はまだ制服を着ている。この制服を着ている限り、私はこの制服に忠実でありたい。従って、朝鮮半島に帰り独立運動に加担するなどということを考えない」
    と部下に話したという逸話を思い出しました。

    戦後の日本企業が、軍組織を模倣している部分も多々あると感じていた私は、
    ご自身も制服に「東京電力福島復興本社代表」の腕章をつけてJビレッジで生活され、
    東電が実施する復興推進活動に参加する社員に対しても、
    「必ず制服で行くように」命令していた石崎芳行氏に関する今回の記事は、
    「東電側が率先して男女関係のもつれで終わらせたい」ことだったのではないかと思えてなりませんでした。

    石崎芳行氏の福島に及ぼした影響がどのようなものか。功罪含めて、誰か明らかにしてほしいと思っていました。
    それは石崎芳行氏個人の問題ではなく、東京電力の問題でもあるはずです。
    石崎芳行さんは東電の制服着用にこだわり、社員にも制服着用で福島に来るように命令していたのだから。

    石崎芳行氏は、誠実な人柄を武器にして、被災地の復興活動を推進する立場でした。
    マスコミにもそのようにアピールしていました。
    例えば、この記事。

    「東電は許せない。しかし・・・」

    私はこれを読んだとき、ニコニコ動画の東電原子力定例会見での東電の情報隠しを見ているせいか
    非常に違和感を感じました。
    石崎氏は東電寄りの被災者を利用し、自身の東電広報の経験、東京電力福島復興本社代表という立場を利用し、東電に都合のよい報道を大きくさせて
    都合の悪い報道を流させないようにしているのではと思えてなりませんでした。

    最近、2013年ぐらいの東電原子力定例会見でも姿が見られた
    朝日新聞の青木美希氏がこの本を上梓されました。

    石崎芳行氏や東電が登場しない部分で、このような悲劇が起きていたのか。
    被災地における深刻な人間関係崩壊の悲劇。
    十分な賠償をされないために自殺をされた方々。
    本来は福島地元マスコミが、先頭立って東電を追求すべきであるのに、そのような記事がない。
    原子力定例会見でも福島地元マスコミたちはあまり質問をしないのが通常。

    今のところ、石崎芳行氏の件は「男女関係のもつれ」以上に発展していないのが残念なところです。

    私には力不足すぎるけれど、
    自分がインターネット上で見た情報をつなぎ合わせてブログ記事にすることで、
    石崎芳行氏の件について「男女関係もつれ」だけ風化させず、
    これまで加害企業として何をしてきたのかを明らかにするよい機会と捉えたいです。


    【加筆】「文学博士」渡辺錠太郎

    年末といえば・・・
    シスター渡辺和子さんが亡くなられて一年がたちました。
    早いものです。
    昨年年明けの岡山で執り行われたお葬式に行きたかったけど残念でした。

    というわけで

    久しぶりに渡邉錠太郎大将ネタです。

    EPSON MFP image

    以前のブログで、少し書いていたのですが、躓いてしまいました。

    文学博士。

    その文章に加筆修正したいと思います。

    先日、私のTwitter友のねがらく(@etaenaldoutei)さんが
    旭川に旅行に行かれました。
    その時のTweetです。


    私は、ねがらくさんが旭川に旅行に行かれたのが羨ましくてなりませんでした。
    私も旭川に行けたら、絶対に「北鎮記念館」に行くぞと
    新たに行きたい場所に加えました。

    ねがらく(@etaenaldoutei)さんからの教示です。

    それでよかったのか・・・。
    いや、もしかしたらあの渡辺錠太郎大将のこと、もっと深い意味があったのではないか?
    と思いましたが、まあ、ここでは置いておきます。
    おそらくそんな意味かというところまでは、なんとか私も理解はできました。
    渡辺錠太郎大将についていくのは難しいことです。

    ところで、渡辺大将は、「文学博士」とあだ名されていました・・・。

    これは褒め言葉と思いますか?

    私は、渡辺さんが、陸軍部内で「敬遠」されていたことを示すエピソードではないかと思っています。

    渡辺さんは、とにかく「学ぶことが大好き」でした。
    強制されて学ぶということがなかったようです。

    軍人としての俸給の何割かを、丸善への支払いに充てていたといわれるのは
    有名なエピソードであります。

    ふつうは、飲み会でのネタだったりするほうが、人間として魅力があるように
    とらえられがちなのですが、その辺のネタはあまりないようです。

    それよりも、どのような環境の中においても並外れた学習意欲を生涯持ちづづけた「天才」という意味で
    「文学博士」とあだ名されるに至ったようです。

    多分、こんなニュアンスで・・・。

    勉強なんてするよりも大切なことだってあるしぃー
    ただでさえ、堅苦しい軍人生活から離れてもまだ、勉強するってエライよねー
    でもマネしたくないし、あまり近寄りたくない・・・

    私も、無理に勉強して知識を誇示するのは嫌だと思っています。

    好きなことが勉強で、ある分野を(誰が何と言おうと)追求している姿は好きです。

    渡辺大将の場合は、本当に趣味が勉強と言える人だったのだと思います。

    渡辺大将は、本当の学者のような勉強はしていなかったと思いますが、
    戦史や航空、気象、ドイツ、国際関係に関して、マスコミのいう事をうのみにせず
    関係書籍を丸善で探しまくり、いつでも勉強するという体制をとっておられたようです。
    その縁で、学者の友人も多かったようです。

    渡辺大将に関する勉強ネタは、このようなものがあります

    • 4歳の頃、菅原道真の話を聞いて感動し、家中に「天神」の文字を書きつらねて
      家族を困らせた
    • 農家兼タバコ屋に生まれたため、家業の手伝いが終わった夜に勉強してたら夜更かししてしまった。
    • 家業のため、中学に進学できなかった渡辺さんは、
       中学に進学した友達の教科書を一年遅れで全部貰い、それをマスターした。
    • 大好きな勉強を続けるためにどうしたらよいか考えた結果、陸軍士官学校に合格することだと思い立った。
    • 徴兵適齢(20歳)を迎えた渡辺さんは、陸軍士官学校の願書を提出しにいったところ、役所の担当者から
      「中学も出ていない者が、陸軍士官学校を受験するなどとんでもない!」
      と言われ、(愛知県岩倉町)町長からじきじきに訓戒を受けた。

      それでもあきらめず受験したら、第三師団(在名古屋)の受験者中トップ合格だった!

      これで、華々しく「郷土の誇り」として、陸軍士官学校に入学できると思いきや、
      家族からも親戚からも「家業を見捨てるのか!」と言われ、
      送別会さえも開いてもらえなかったとか。

      能力ある故に、「はみだし者」とされる苦しみに直面していたのでした。

      同様な苦しみは、形を変えて、娘の和子さんもご経験なさったとのこと。

      によると・・・

      昭和20年代に、当時の女性としては珍しく、
      上智大学に勤務しながら、上智大学大学院を卒業なさった和子さんは、
      思うことがあって、修道女になられました。(30歳ぐらいの時)

      多分、修道院側も、大学などを経営しているので、和子さんのような方を
      将来の経営者兼教育者として頑張ってもらいたいと期待し、
      修道院に入ってからすぐに、アメリカに派遣され、そこでなんと
      博士号を取得して岡山にあるノートルダム清心女子大学教授要員として戻ったところ、

      誰一人として喜んで迎えてくれる人がいなかったとか!

      「博士さんのくせに、ふきんのたたみ方もわからないのですか!」
      と嫌みを言う姉妹(修道女)はあっても。

      修道院も、軍隊もなんだか「人間の集う場」なのだと考えさせられました!


    香川県文書館の危機

    香川県文書館所蔵資料が廃棄の危機!

    今日たまたまネット上でみたこの記事にショックを受けました。
    毎日新聞2017年11月8日朝刊より

    香川県文書館所蔵資料のうち1万5000冊が廃棄の危機に直面しているとのこと。

    これって・・・。
    香川県はもともと軍都だったから、大切な戦史研究の資料が失われるってことでは・・・?
    と思い読み進めてみると

    ここより記事を引用 ———————————————————–

    香川県立文書館(高松市)に保管される歴史公文書約2万6000冊のうち、

    軍歴など太平洋戦争関係の資料を含む約1万5000冊が、
    県条例に基づき廃棄対象にされていることが分かった。

    「将来的に評価が上がる可能性がある」と懸念した専門職員の機転で保管を継続しているが、市民が閲覧できない状態になっている。
    識者は「公文書を守るための条例なのに、専門知識のある職員が残すべきだと考える歴史公文書を残せないのはおかしい」と指摘する。

    県条例で「重要といえず」
     香川県は公文書管理法施行(2011年)を受け、13年に県公文書管理条例を制定。
    県の行政文書は保存期間(内容に応じ1年未満~30年間)満了後、
    「歴史資料として重要」と判断されたものは特定歴史公文書として文書館に移管し、
    それ以外は廃棄しなければならないと定めた。

     これを受け、書類を保管する県担当部署と同館は、14年度の条例施行までに約1年間かけ、
    過去に県から移管された約2万6000冊を点検。
    このうち、軍歴関係書類や農地転用に関する書類などを含む約1万5000冊は、
    「個人に関わる内容などで『重要な政策決定の過程が記録されている』とはいえず、特定歴史公文書には当たらない」と結論付け、
    廃棄対象に決めた。

     しかし、廃棄対象文書を改めて確認した同館の専門職員から
    「軽々しく廃棄することはできない」との意見が出たことから、「再審査中」の扱いで保管を継続している。
    同館の嶋田典人・主任専門職員は「軍歴関係書類などは当事者にとって大切な資料。
    長期的に見れば『石』が『玉』になる可能性もある」と説明する。

    【渡辺暢】

    ——————————————————————————-

    私は2年前に香川県に旅行しました。
    なぜ香川県を旅行先に選んだのか?というと

    軍都だったからーーーーでした。

    以前の記事:「軍都・善通寺
         :「丸亀護国神社

    特に善通寺に存在していた第11師団は、日露戦争以来の日本の精強師団でした。

    現在でも「乃木資料館」として残されている第11師団司令部玄関(陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館)

    階段の途中の窓がステキです。

    庭にはヘリコプターもあり、身近に感じられます(私は兵器詳しくないです。誰か教えてください)

    シベリア出兵でも活躍し
    第一次上海事変(1932、昭和7)でも活躍し、
    支那事変で名古屋歩兵第八連隊が、苦闘し連隊長(大佐)戦死という事態になるほど、
    陸軍参謀本部が想定していたよりもはるかに精強である支那軍に苦しめられていた時に
    この善通寺・第11師団は
    「何とか頑張ってくれ」と急遽動員され、日本の期待を一身に背負って出兵した師団だったのです。
    平時の訓練や県民からなる兵士同士もまとまりをもち、軍紀も保たれていた「虎の子」兵団でした。

    この部分の参考文献:
    阿羅健一『日中戦争は中国の侵略で始まった』

    おそらく、その時代の資料もこの廃棄資料とされたなかに含まれているはずです。
    そのような資料がようやく「玉」になろうかとしている時に
    なぜこんなことが起こるのでしょう・・・。

    専門職員がいないから

    大学院で法制史や、そこから地道な戦史研究を続けているような人が
    育っていないから。

    もしかしたらオーバードクターでいるはずです。
    ワーキングプアな立場に苦しみながら。
    大学の非常勤講師のポストさえももらえずひっそりとしている人が
    いるはずです。

    そういう人を日本は国として、大切にしてこなかった。
    歴史を学ぶことが大切とか、愛国とか言っているわりには
    個別の事象を地道に研究してきている人を結果として貶めたから。

    私は以前、長南政義さんの日露戦争の講演を聴きにいきました。

    長南氏がこの本を出版されたとき、読み通せる自信はなかったけれど

    薄っぺらい言説を雑誌で流すような方ではないと思ったから。

    でも労働している人間がこの本を読もうとしても疲れて頭に入らず(( ノД`)シクシク…)

    ちょうど長南氏が、著書をもとに講演されるというので
    分厚いこの著書を抱えて、講演を聴きにいきました。

    長南氏の講演を聴くにあたって、著書のどのあたりのことを話しているのか
    付箋を貼りながらついていきました。

    それだけでも、かなり頭を使いましたw
    でも久しぶりに気持ち良い頭の使い方が出来た感じがしました。

    それぐらい、私もそうですが
    「何がいいたいのかさっさと教えろ!」な見方で、書物に接してはいなかったか。
    読みやすい、簡単さ、とっつきやすさ(これがアジテーション的なものだったりもする)で歴史を見てはいないか。

    私は、以前「田母神論文」が出たとき、これで、少しは戦史研究にも光が当たるように
    なればいいな
    (特に保守と自称している人たちが、文書館や博物館に足を運ぶようになるならば、
    きっと歴史を学ぶことがブームとなり、資料が大切にされるだろう)と
    期待していました。

    しかしながらーーー。

    事態は、より扇動的になっていったのではないか。
    簡略化、単純化された書物。それに売れるために工夫されたどぎついタイトルのついた表紙
    ブームとなった「田母神論文」に似たような書物が流行で出版されるようになる一方で、
    丹念に史料を読み込んで時間をかけて著された書物に光が当てられることはなかったと思います。

    (最近の室町時代ブームは、個人的に「嬉しい」ものです。
    まだちゃんと読んでいないけど、

    例えば神谷町のツタヤまで買いに行き、
    となりの空いている?スターバックスで時間を忘れて読み込む、ということをいつかやってみたいです
    →呉座勇一氏『応仁の乱』の時は、神谷町ツタヤで購入はしたけれど、隣のスターバックス・コーヒーが混んでいてできなかった。)

    それはさておき

    価値を見極められる人が不在のまま、重要な資料が廃棄されてしまう。
    これでは、深い部分を知ろうとしたくとも、知ることができない。

    正しいか、正しくないかだけでない。
    グレーゾーンの部分を直視し、自分の思い込みを超えてみようとしながら
    史料に接そうという人は、Twitterには多くいますが、
    全体的には少数派だと思います。

    もしかしたら、「廃棄対象文書を改めて確認した同館の専門職員」の方の歴史の見方は
    私とは異なるかもしれません。
    それでも本当は一向にかまわないと思います。
    史料を見たいときに見せてくれるように環境を整えてくれるならば

    読みたい人に対しては誰でも読めるように、活字にしてくださったり、
    その人なりの解釈でいいから、資料の評価文を載せた史料集にまとめるのは
    地道で気の遠くなる仕事です

    そのようにしてまとめられた史料集は
    どんな思想信条、歴史の知識のあるなしであっても
    読みたいと望む人には「公平に」開かれているものだからです。

    ある人は、注釈が違っていると指摘もします。
    またある人は、この史料を編纂した人が「左巻き」ではないか、と批判した文章を
    書くでしょう。
    またまたあるひとは、史料を読んで「やはり戦争や軍のない世の中になれば」と結論づけるかもしれません。

    でもそれでいいのです。
    史料を最初に解釈した人が正しいのではなく、読み手が変わると次々と別の解釈が無限に現れるものですから。

    今、ここで香川県文書館の史料が廃棄されてしまうことは、
    知りたい人の自由さえも奪うのではありませんか。

    そんなことに危機感を感じました。