軍都・善通寺

善通寺と兵器庫

私が今回是非撮影したかった写真です。

ちょうど善通寺の塔と、陸軍第十一師団兵器庫が入った写真。
やっと撮影できました。

このアングルの写真が撮れて嬉しかったです。

弘法大師ゆかりの善通寺と、陸軍第十一師団のレンガ建築が一緒に
写ってるのが個人的にツボだったのです。

そのほか、善通寺には私が今回回りきれないほどの
陸軍関係施設(自衛隊施設も含む)があるように、軍関係に興味がある人にとっては
あちこち目移りしてしまうほどの街でした。

時間を気にしないで心ゆくまで見物したかったのですが、
現実は・・・午後4時には高松方面の電車に乗らないといけない。
それまでにどれだけ回れるか。

私はよく、旅行に行くと、現地の博物館的な場所の受付の方といろいろ
話してしまって、肝心なところを見そびれてしまうことがあります。
今回はそうならないように・・・と思っていたのですが。
なかなか難しかったです。

そんななかでも、ここには行きました。

「香川県護国神社」

香川県護国神社

別名「讃岐宮」と言われている神社です。
こちらの神社の境内に、「先賢堂」なる香川の偉人をお祀りした場があるらしいです。

さらにこの「先賢堂」に原田熊吉・陸軍中将がお祀りされていたことを、
この本より知りました。

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茶園義男『BC級戦犯・チャンギー絞首台―ドキュメント』(紀尾井書房 1983)

護国神社に旅行前に問い合わせてみたところ、「先賢堂」は境内にありますが、
その方がお祀りされているかどうか・・・という回答でした。
先の大戦で殉じられた方は全てお祀りしていますよ、と。

私のような者からのこうした問い合わせ、かなりレアだったのではないかと思います。

今度は直接護国神社の社務所に行き、先賢堂はどちらですか?と聞いたら

「ああ、先日問い合わせられた方ですね」と。

すっかり印象に残られたようでした。

「先賢堂とは、乃木神社のことです」

乃木神社

この讃岐宮には初代善通寺第11師団長であった乃木希典大将を
祀った神社もあるのですが、それが「先賢堂」をも兼ねていたとは!

しかし、わかりにくい・・・。

原田熊吉中将が、讃岐宮の「先賢堂」に合祀されたのは
昭和49(1974)年2月23日だったとか。

最初に祀られたのは、景行天皇の皇子神櫛王命で
原田中将は103番目です。

それでも、ほんの少し原田熊吉中将を知ることができて
嬉しかったです。

次は、茶園義男『BC級戦犯・チャンギー絞首台―ドキュメント』(紀尾井書房 1983)に
掲載されていた、「原田熊吉命御事歴」をご紹介します。

人の一生には晴れたり曇つたりする日が交互にやつてくる

今年もこの時期が来ましたね。

クリスマス?

確かに、私個人は、カトリック未受洗者のまま
たまにですが、ミサに与ったりもします。

でもそれ以上に・・・。

興亜観音

東京裁判で判決を受けられた方々が処刑された日のことを
思ってしまいます。

武藤章中将は、東京裁判において、唯一陸軍中将の階級で死刑判決を受けられた方です。
それはずっと前から知っていました。

この人、東條大将の腹心だったからじゃない?てな理解でしたが・・・。

実際はそのようなことではなかったと思います。
軍務局長としての役目の他、近衛師団長として、フィリピンの第14方面軍参謀長としての
立場での責任追及をされたことが原因だったと考えております。
軍務局長という立場で御前会議に陪席したぐらいでは、処刑にはならない。
海軍の岡敬純軍務局長は終身刑だったのだから。

武藤さんは、陸軍側の軍務局長の役目を解かれて、
指揮官・参謀長として外地で闘っていた方だったから。
ある人を処刑に追い込みたいときに、特に目を付けやすいのは
指揮官とか参謀長、収容所長的な立場経験だと思っています。
武藤さんは、そのうち指揮官と参謀長経験者だから、かつての役目に事寄せて
処刑という結果になられたのだと考えています。

武藤さんが、65年前のこの時間、どう過ごされていたのだろうということを
毎年この時期になると、いろいろ思いめぐらしてしまうのが私の性分だったりします。
本を紐解きながら、武藤さんが話された内容をもとにあれこれ思いめぐらすのですが、
実は毎年、いろんな発見を自分勝手にしています。

今年は、この書物を紐解いてみました。

死の直前に、教誨師の花山信勝師に、妻と娘あての手紙を渡していました。

「十分覚悟ができた。少しノドを痛めておるほか至極健康だ。
カード遊びや読書などをしている。
私の死は絶対だ。
衝動的に死を恐れることもある。他の人にもそれはあるらしい。
安政大獄中の松蔭にも、この気持ちはあつたろう。
それは生への執着である。
理性では、どうすることも出来ない。
私は宗教には、気づかずにやつて来た。

日本復興は必ず出来ると考えている。戦争で一切を焼いてしまつた。
現在の簡素な生活に満足するよう、物質的欲求を制限することが大切である。
過去の物質的生活を思うことはよくない。
物質的な生活よりも精神生活の高いものへ。汝らの宗教を指図はしないが、
人間には宗教心の絶対的必要なことだけはいいうる。(中略)

法名も「光壽無量院」ともらつておる。私を見たければ南無阿弥陀佛と称えよ。
必ず会うことができる。
何年かの後には必ず来いよ。それ以前には来るな。
佛ということは光である。死を覚悟しながら、ぎくっとくると書きだしたから、
心配するかも知れぬから書くが、
私にも武人として戦争の時の覚悟はある、心の準備はすでにできている。
それをいうのではない。
静かに死を待つ時の人間としての、生への執着をいうたのである。
決して刑場には遅れはせぬ。今夜九時から花山さんからだといつて、
順次よばれたときに、いよいよ刑の執行と考えた。そして宣告を受けた。
心は落ち着いた。体重を計った。
それから独房に帰って、タバコを吸つて、よく眠つた。
二十二日にはお経を読んで、タバコを吸つて、
今生最後の日と思うと面白い。

今夜半と思うと、他人事のように思われる。不思議なほどである。
歎異抄の第九章のごとく、決して死を嬉しいとは思わない。
しかし、私には何の不安もない。私が成佛した暁には、今の如く離れ離れではない。
必ずお前たちを幸福にすることができるのだ。

人の一生には、晴れたり曇ったりする日が交互にやってくる。

午後十時には感想録の手を止めて、夜十二時までに静かに時を過ごすであろう」

この文章の中で、個人的には、
人の一生には、晴れたり曇ったりする日が交互にやってくる
という一文に目を留めました。

一人の我が国の歴史に名前を留められた方でありながら、ハンドルネームに一字いただくほど
勝手に「近しい」と親しみを抱かせていただいている方から

人の一生には、晴れたり曇ったりする日が交互にやってくる

という諭し声が聞こえてきた感じがした、というのが
私の今年の「この日」における正直な気持ちです。
いろんな捉え方ができる深い言葉だなあと思って、静かに味わいながら
静かな時を過ごそうと思います。

ようやくブログの土台が出来ました

これまでは、ウェブリブログさんにお世話になっておりましたが、
ようやくWordPressに移行出来たようです。

とっても大変でした。
もうブログは無理かも〜と何度も思いました。

それでもWordPressというものを使いこなしたい。
WordPressなら、プロ・ブロガーさんから、企業のHPまでいろいろな方に愛用されているからです。
それに広告やデザインも自由というのがうれしい。

そういう思いで、出来ないなりにいろんな本を読みながら
自分の出来そうなやり方でここまできました。

まず、今回やったこと
ロリポップでサーバーを借りた
 これはネット上で「土地」を借りたということです。
 30GBもの場所が借りられました。
 半年で3000円ぐらい。
“tenhouin.net”のドメイン名を取得した
 ネット上の独自URLが持てるということです。いくらかやはりお金はかかりますが、安いです。
 ムームードメインから取得しました。(1年で380円です)
ブログのロゴを作った
 ロゴは「日本陸軍」を意識したものとして、五芒星が良いと思っていましたが、中々気に入ったものがないので、
 北の丸公園内にある近衛歩兵第二連隊記念碑の写真を撮り、それをPhotoshop CS6というソフトを使って
 切り抜いて加工しました。
近衛歩兵第二連隊記念碑
 こういう作業をサクサクできてしまうネット上の「職人さん」ってすごいなと思いました。

こんなところです。とりあえず。
仕事しながらの更新なので、無理せず、でもせっかく場所を借りたからには頑張って何かを書き続けたいと
思っております。
よろしくお願いします。