故・中川智正氏、被告時代の苦悩

7月6日(金曜日)午前、次々に入ってくる死刑執行のニュースに驚いた私は、
仕事をしていても、なぜか中川智正さんについて、気になって仕方がなかったです。

そしてそして、完全文系な私ですが中川智正関係記事をあさりはじめ、
ついには

と、お金もない、化学の知識もないのに、論文とか本とか買ってしまいました。
多分オウム真理教元幹部の本など発売されないだろうと思い、まずは2014年発売本をAmazonでぽちりほっまだ値上がりしていない。

ちなみに、早川喜代秀さんの著書はすさまじい。



3万近くに値上がりしている。
こういう本はまず、図書館ではあまりお目にかかれないので
こういう時にここぞとばかりに値上がりするらしい。
中川智正さんの本は、まだ1300円だったので、やった!!!と思ってAmazonでぽちったところ、斜め上の情報が入ってきました。
「死刑執行されたら出版してください」との約束で元オウム真理教・中川智正元死刑囚と面会を重ねた世界的毒物学者の書籍を緊急刊行。



ええええええええええーーーーー。本の衝動買いに走りまくってしまった・・・。
読みこなせるかどうかわからないけど、
買ってしまったものは何とか読もう、自分なりに
というわけで、
今回はこの中川智正氏とアンソニー・トゥ名誉教授との共著を読む前に中川智正氏に関する予習をしておきたいと思います。

化学的な知識に関する予習のサイトとしては、こちらが素晴らしかったです。
「オウム死刑囚が執筆した論文をレビューする」

特にこの部分を読んですごい!と思ってしまいました。

「論文の文章から漂うのは、圧倒的な「当事者感」である。特に以下の記述がすごい。

There is no documentation regarding the toxic nature of the two types of VX (salt-free and HCl) in the literature; however, this was actually shown by Aum Shirikyo’s terrorist action. This was known only by two persons who were involved in the manufacture of VX. The first author of this paper was actually involved in such manufacturing [unpublished observation].

-この二種類のタイプのVXの毒性に言及した文書は存在しない。しかし、その毒性はオウム真理教事件によって証明されている。
これはVXの製造に携わっていた2人(つまり、中川智正と土谷正実)だけが知っている。
この論文の筆頭著者は実際に製造に関わっていた(未発表)。

このサイト運営者は人工知能の研究をイギリスで深めている方とのことで
理系知識ないに等しい私でもすごさの一端に触れることができました。

今回のエントリーでは、私自身が中川智正氏の著書が発売されるまでに中川智正氏に関して予習をしたいと思います。
彼がオウム真理教に入り、被告になってからどのような苦悩を抱いてこの23年間を過ごしたのか。
すべての資料を読む予習は難しいけれど、
たまたま行きつけの図書館で、この本を借りることができました。
この本を読んで予習しようと思います。



この本には中川智正氏について
「医師の使命」なき男 中川智正 として一章が記されています。
おそらく、ウィキペディアで中川智正を見た人たちには(私も含め)知らない面が書かれています。
それはどのような面なのか、以下に記していきたいと思います。

意外にオウム真理教との縁が切れなかった

中川智正が逮捕されたのは、1995年5月17日のことでした。
それからすぐに、脱会届けを出したとのことですが、
それは、岡山に住むご両親が、私選弁護人をつけるために、脱会届けを書き、息子を取り返したものでした。

当の中川智正は、林郁夫受刑者の公判にて、こう述べています。
「親としては、私を教団から取り返したのであり、ある意味では取引のようなものでした。
ほんとうの意味で、麻原尊師と私が切れているかどうかは、ちょっと申し上げられません」

オウムに出家するときに猛反対した親が、
自分が逮捕されたから、自分をオウムから切り離すためにそうした、というニュアンスが感じられます。
ご両親は、私選弁護人を雇ったものの、息子の罪状が次々に増えていき、さらに「サリン」「VX」などで25人を殺害し、
6000人に被害を与えた事件を起こした息子のために弁護士の交通費、宿泊費を工面するのは、
経済的にも困難になり、
そこまでしてもまだ息子の心はオウムにあることがわかり、
どうすればいいのか途方、絶望にくれていたようです。
さらに息子はその弁護人と意見の対立を起こし、国選弁護人に代わったとのことです。
その国選弁護人はオウム真理教が経済援助してつけた感じがし、
1998年ぐらいにはご両親は、息子は脱会こそ書類上ではしているものの、教団に復帰しているようなもの、と捉えていたようです。

「法皇内庁長官」

在りし日の中川智正氏詰め合わせ

オウム真理教幹部の中では「ボンボン」「坊ちゃんタイプ」(端本悟・死刑囚)いうイメージで見られており、
教祖に迎合する傾向はあれど、
教祖が、端本死刑囚に30キロの減量を命じようとしたのを止めさせるよう進言できる人物との評価でありました。
教祖の主治医ではあれど、教祖の身体に触れるようなことはなかったということです。
麻原が逮捕されるときに、弟子たちにさえ、身体を触られたことはない!と言ったことからも
医師免許を持つものとして教祖を診察するということはなく
単に健康アドバイザーのようなものだったとのことです。
もう一人、医師として有名なオウム真理教幹部として、林郁夫受刑者がいますが、
彼は20年の臨床経験をもつけれど、臨床経験が1年の中川智正よりステージは下だったとのことです。
創価学会の池田大作殺害未遂事件の時に、
ガスを吸い込んだ新実智光氏をおんぶしてはこんでは来たが臨床経験1年しかない中川は治療もできなかったと。
林郁夫は、
「自分よりステージが上の中川が何も出来ず、それでいつも指示だされていたので意外に思った」と公判で証言しています。
医師でありながら、臨床経験が少ないために無理をさせられて失敗エピソードはここからきているのかと思いました。

なお中川智正によると、彼よりも村井秀夫の方が教祖の身体に触れているのを見たとのことで、
扱いは、村井秀夫、遠藤誠一、中川智正の順で重用され、
村井は食事の給仕や買い物などあらゆることができ、
遠藤と中川は同じ程度だったと言っています。
また、医師の使命について麻原弁護団から尋問されたときに
そもそも、私は医師という人種になったのではありません。医療技術の資格をもっただけなんです
私には医師の使命というのが嘘くさく思えるんです」と、
医師を志し、真面目に勤務していたことを自分自身で否定するほどの状態の頃があったのでした。

研修医時代

「医師の使命が嘘くさい」というほど、医師という職業を嫌悪しているような感じのある中川智正の研修医時代とはどんなものだったでしょう。
勤務した病院では、最初は消化器内科に配属され、胃カメラ、超音波、バリウムなど勉強し1日に30人ほど診察し。
即戦力として期待され、数をこなすことを求められる激務だったようです。

それでも、患者の症状を親身になって受け止めていると、
いつしか自分が同じ症状になっていく感覚があり、
それを上司に相談したら、
「そんなアホなことあるか!」といわれ、どうしたらよいかわからず、悶々として過ごしていたとのことです。


私も、「対人援助職」として親身になり受け止めようとして、
心身ともに疲労困憊なのに無理をしたことがありますが、
私の頃はうつ病、燃え尽き症候群などの病名や、「感情労働」という言葉が使われるようになったけれど、
昭和末期ではまだその考えはなかったなか、一人苦しまれていたのかもしれないと思いました。

それがオウム真理教出家の原因でもあったのか・・・と。

裁判では、「医師という人種になったのではありません」などと答えていたのも、
もしかしたら研修医時代の煩悶が尾を引いていたのではないか、と平成の今、
この部分を読み返して思う人が結構いるのではないかと思います。
当時はなかったのが中川智正氏にとって不幸だったのかどうか。

もう一つ、出家をしたばかりの中川智正は、
村井秀夫にいきなり「人を殺せる薬はないか」と言われて、
元勤務先の病院に盗みにはいっています。
これも昭和だったからできたのか、とも思います。
平成の今であれば、まずセキュリティカードで管理されているので、盗みに入るのは困難だと思います。

この時盗んだものが、坂本堤弁護士殺害事件で使われています。
結局静脈注射はできず筋肉注射しかできなかったけれど、
3人の命が奪ったのは中川智正の注射行為だったと共犯者たちは見ていましたが、
中川智正本人は、
「子供の口と鼻をふさいで死なせたのは自分だ」と悩む日々で、
それを理解してもらえない中で、さらに犯罪を重ねていくことになります。

被告時代の苦悩

自身の第一回公判で、地下鉄サリン事件関与を認め、
「村井秀夫さんから指示され、私がサリンを生成し、袋詰めにしたことは間違いありません。
しかし尊師らと共謀した事実はなく、どこで発散させるのかは、事前に知りませんでした」

一人で責任を負うつもりだったのでしょうか・・・。
さらに第四回公判では、坂本弁護士殺人事件について
「殺害する共謀があったのは事実です。
ただ奥さんや赤ちゃんを殺す話はなく、
現場で「泣いている子供をなんとかしろ」と言われて、
タオルで口と鼻をふさぎました。
もう私は迷惑をかけたくない。気持ちとしては、「消えてなくなりたい」

法廷で「ぼくは死刑になる。教団の教義でも、人を殺したら自分が殺されるか、悲惨な死に方をする
ということがあり、
何とか麻原元側近として、麻原自身に
「お前たちは悪くない」と言って欲しかったらしいです。

村井秀夫の死については、
麻原裁判の第193回公判にて
村井さんはヤクザに頼んで刺してもらい、自殺したんだと思う。あの人なら、それくらいやりかねない。自分もああいうふうに死にたかった
と言われています。
そして、2001年の麻原二百回公判において、

「医師をしている友人から、『地下鉄サリン事件で使われたサリンを、まさかお前がつくったとは思わなかった』といわれました。
しかし教団の構成員である以上は麻原氏の命令に従わざるを得なかったのです。
もともとオウムには、特殊な人たちがあつまり、世俗を捨てて活動していました。
そこへ捜査が入り、司法の場へ引き出され、現世に戻されています。
麻原氏にはそのことをわかってほしい。
教団はシヴァ大神をいつもかかげていました。
シヴァ大神が『お前たちが悪いんじゃない』といっておられるならそれを言葉で伝えていただきたい。
尊師がどう考えておられるのかを、帰依していた弟子たちに何らかの形で示してもらえませんか。私たちは、サリンをつくったり、人の首を絞めるために出家したんじゃないです」と証言台で泣き崩れるエピソードを残しています。

その翌年の2002年2月25日の中川智正裁判の時に出廷したかつての尊師は、宣誓書に署名を拒絶しました。
そのときに、中川智正氏は呼びかけました。
尊師、なんとか署名していただけないでしょうか。
ぜひ尊師のお話をうかがいたいのです。
これが多分、最後の機会だと思います。
私だけではなく、いろんな人たちが、否応なしに事件にかかわっています。
そういうことも考えて、お話いただきたいのです


それに対して、かつての教祖は、手で振り払うようなしぐさをするだけだった・・・。
医師免許を自主的に返納したり、サリンをまいたことを認めたりと
当初からわりと幹部の中では洗脳が解けていたイメージのある中川智正氏。
実際は、このような苦悩につぐ苦悩の末、
すこしずつ「麻原は何も言わない」と理解していくようになったのだと思います。
佐木隆三氏の著書では2002年で止まっているので、
その後、どのような過程を経てVXに関する論文発表と、自分の死刑執行を淡々と受け止めていくのかまではわかりませんでした。
「結審までの見通しは立っていない」で筆が結ばれています。

「元に戻ってくれました」(中川智正氏のお母様)

(朝日新聞の記事より)
「あの子がいつ、この世からいなくなったとしても当然だと思っています。
それしかありませんから、償いは。いえ、そんなことしたって償いにはなりませんけど」
 西日本のある都市に夫と暮らす。せめてもの願いは息子より1年でも長く生きること。
死刑が執行されたら迎えに行き、「連れて帰りたい」からだ。そう語ると、突然、嗚咽(おえつ)した。
 「骨つぼは仏壇に置いておきます。私たちが死んだら遺骨を一緒に入れてもらいたい。長男なのに、生きているときは何もしてくれなかったんだから、あの世で世話してもらおうって
 2カ月に1度、面会のために上京する。午前中はいつも、弁護士一家の墓がある神奈川県の寺へ。手を合わせ、ひたすらわびる。
母親は「インチキに決まっているじゃない」と止めようとした。とうとう説得できなかったことを今も悔やむ。
 同時に、矛盾しているようだが
「あれだけ止めてもどうにもならなかったことが、慰めになっているのかも……」。
力が足りなかったんじゃない、オウムはとてつもない相手だったのだ、という自身への言い訳だ。
 中川死刑囚は裁判で罪を全面的に認め、涙を流した。
母親との面会では、足が弱って上京しにくい父親の体調や、きょうだいの様子をよく尋ねる。
元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚のことは「あれ」と呼ぶ。
「教えを信じたまま死んでいくのだったら、つらかった。でも、昔に戻ってくれました。だから本当に覚悟しています」

発売される著書がどのようなものであるか、楽しみに待ちたいと思います。
それにしても、最近は軍人の話とは逸れることが多い・・・。
でも忘れたわけでもありません。

東京電力・原子力定例会見

石崎芳行氏と増田尚宏氏(現・東京電力副社長。3月まで廃炉推進カンパニーCDO)のコンビの功罪は
情報発信の面において、
見る人が見ると
東電の隠蔽体質はさらに悪化、後退するばかり
一方で、Yahoo!などの311関連記事では「きれいごと」な世界を語り
(例えば、、「東電は許せない。しかし・・・」
とりあえず311の時だけは、思い出そうとして記事を読む多数の人間には
もう事故は収束して、デブリってものを取り出せばなんとかなるんじゃないか
という理解で止まってしまうという事だと思います。

「東京電力原子力定例記者会見」とは、
東京電力のHPでも記者会見動画は掲載されています。
それと一部重複するものもありますが、
ニコニコ動画やIWJのものは震災時からの会見も残っているので、震災当初からどのように変わっていったのかもわかります。

さて、この原子力定例会見を見続けると(私は、おしどりマコ @makomelo さんがTwitterでつぶやいているのを見て
「今日会見の日だっけ」とタイムラインを追うぐらいで
面白そうな(会見者側の東電社員とマスコミとのバトル)時は熱心に見ます。

この原子力定例会見、当初は、会見者の東電社員にあだながつけられて結構見られていたのですが
(私は当時みる時間がなかった)
今でも見ている人は本当に貴重です。
たくさん学ばせていただいています。

特にピックアップしたい会見をこれから挙げたいと思います。

2014年7月10日

増田尚宏氏が廃炉推進カンパニーCDO挨拶の時に同席していた石崎芳行氏について
語り、自身も技術者ではなく通訳になると宣言

東京電力廃炉推進カンパニ発足会見
「私実は、あの一番右に座っている石崎が福島第二の所長のときにその下で技術屋として副所長をやらせていただきました。
そこのところで、大分、いろんなことを・・・。
石崎が事務系の人間、広報のところが経験豊かなこともあっていろんなことを学びまして
技術屋が技術屋として言えばいいんじゃないなということを感じました。
今度は自分がそれを経験した立場として、福島第一の構内で働く皆に、しっかりと通訳をして伝える。

皆さんの思いにあわせてどんな情報を現場から発信すればいいのかも、通訳するってことを心がけたい。」

その7日後の7月17日(木)会見では、現地福島からの情報発信として
広報担当者に発令された会見者の、耳を疑う自己紹介がありました。

東電会見20140717(ニコニコ動画)

「あっ、どもー。はじめまして。
今、紹介をされました1F廃炉推進カンパニー 広報担当!ということで
7月1日から、こちらに参りました。
えっとぉ、私、前任者が、実は!おりませんで、廃炉推進カンパニーの広報担当は、私が第1号です。
震災前後には青森県の東電の子会社におりまして、福島についてはちょっと情報音痴なところがありましてぇー

なぜ就任挨拶で「福島については情報音痴」と正直に答えてしまう人物を広報担当者に充てたのでしょう。
この人事をしたのは、廃炉推進カンパニーの最高責任者である増田尚宏氏に違いありません。
増田氏からみて、この「情報音痴だけど、福島勤務経験はある」と答えたこの社員こそが
わかりやすく情報発信できると判断したとしか思えません。
特に7月10日に自身も福島第一で働く者たちの通訳になると宣言した言葉からも、
そうとしか思えません。

これが何をもたらしたのでしょうか。
「情報発信の大幅な後退」です。
東電会見には、おしどりマコさん、テレビ朝日松井さん、吉野さん、フリーの木野龍逸さんのように
事故当初から通い詰めていて、おしどりマコさんはすべて会見を書き起こし、
そこから人間関係なども推測したうえで、質問をされているとのことです。
なお最初のおしどりマコさんの質問はこのときだったかと思います。


まだ、ブースカ氏という、何を言われても冗長にあいまいにして東電に都合の良い、
何が問題で問題でないのか煙に巻くような方がメインの時代でした。
このブースカ氏の功績で、話についていけないマスコミの方は会見に出入りしなくなりました。
そうなると、その社では東電が出す情報が正しいとするしかなってしまうので
記者が会見に出席したとしても、質問もしないで帰ってしまうのが見受けられました。

余談ですが、このブースカ氏に対して、直球勝負を挑んだ方のことも
懐かしく思い出します。
こちらの動画です。

情報公開基準をつくっておきながら、最高責任者自ら破って平然

これは、
2015年2月26日会見です。
この日は、K排水路の隠蔽を隠し切れなくなって発表した(質問は2013年からあったのに)こと。
そのほか、東電がマスコミとのやり取りの上で自ら定めた公表基準を破ったことについても
追求がありました。

公開基準とはこちら

こちらのふたつの動画に詳しいです。


この日の会見は、中長期ロードマップ会見なのに、緊急会見並みな事故が起こっていることを
平然と話す増田CDOに対し、
ニコニコ動画の七尾氏が追求しています。
それに対して増田尚宏氏は
そういう議論をしたくない!です」と打ち切りをしています。
会見打ち切りは、最近の日本大学広報担当者のが有名ですが、
それ以前であれば、この増田尚宏CDOのこれがすごいと私は思っていました。

おしどりマコさんの質疑については、こちらの動画

および、ブログのこちらの記事に詳しいです。
海への汚染水流出:東京電力の本音「測ってしまったから、わかってしまった」

なぜ反原発の人たちがいるのか。
原発推進派で保守を自称している人にすれば
左巻き、サヨク、パヨクといろいろ罵倒する呼び方がありますが、
その方々の方がよほど熱心に東電会見に通い続け、記録し続けて
東電会見者に質問をし、その反応を見るという努力の前には
単なる罵倒としか思えません。

しかし、一番の問題は、この大切な東京電力からの情報発信が
ニコニコ動画やIWJしかなく
ニコニコ動画もIWJも採算取れないらしい中で、やはり大切なことだからと
続けられているのですが、それは東京電力としては
あまり注目もされないから、公開基準を破っても悪いとは思っていないことです。
おそらく、廃炉推進カンパニーの最高責任者たる
増田尚宏氏は、
石崎芳行氏ならどう思うか」だけで判断しており、
一般視聴者の素朴な疑問に正面から答えようとしないで隠すこと
それが年々多くなり、ついには
増田尚宏氏自身が、東京電力の副社長となられ
この会見に出ることがなくなったことです。

最後に、原発作業員が心肺停止でドクターヘリで搬送されているのに
それさえもプライバシーを盾に一切答えなかったため
会見後にマスコミが会見者に問い詰めるシーンの動画を掲載します。
これら動画をみていると、東京電力という会社には原子力を扱うことは
できないと思います。

事務系出身の福島第二原子力発電所長

東京電力福島復興本社の代表を務められた石崎芳行氏を語るうえで
一番重要なことは、
「事務系出身でありながら原子力発電所長を務められたのはなぜだったのか。」
「石崎芳行氏の功罪はその後の東京電力にどのように影響を及ぼしたか」
であると思います。
石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビ

参考文献:

石崎芳行氏が福島第二原子力発電所長に就任されたのは2007年ですが、
2002年の東京電力原発トラブル隠しがあり、原子力部門の意識改革が必要ということになり
福島第一、福島第二、柏崎刈羽(新潟県★)のうち一つは、事務系の所長を置こうという事になったことで
石崎芳行氏が就任する以前に、福島第二と柏崎刈羽原発では事務系出身所長が存在していたらしいです。
事務系出身の所長を置いて東京電力は変われたのでしょうか。
2007年には、東京電力内原子力・水力、火力といろいろな部門での改ざんが明らかになり
またまた東京電力に騒動が起こりました。
その時に本店の広報部長であった石崎芳行氏は、社長(当時は勝俣恒久氏)から、福島第二の所長をやってくれと
言われて就任することとなりました。

就任の時、「事務系出身が原子力発電所長務まるのか」と原子力部門育ちの技術系社員たちの心配顔に向かって
「これからは俺がこの発電所の広報マンとして動く。きみたちの仕事ぶりを地域の方にどんどんアピールしていく」
「その代わり、発電所内の仕事は任せる」
と宣言されました。

原子力部門の技術系幹部の中に、現在東京電力の廃炉推進カンパニー最高責任者を経て副社長になられた
増田尚宏氏がいました。
当時はユニット所長で、彼の上には副所長(技術系・事務系)がいたにもかかわらず
石崎芳行氏から全幅の信頼を置かれるようになりました。
なぜ石崎芳行氏は、副所長よりも増田尚宏氏を信頼したのでしょう。

「おまえ、そんな説明では世間では通じないよ」という会話ができると
認めた初めての技術者だったからです。

このころ、新潟県の中越沖地震が起こり、柏崎刈羽原発で変圧器が燃えた事故も起きました。

石崎芳行氏は土曜日で休みで、テレビの報道で事故をしり、「原子力は終わった」と
増田に電話をしたら
「大したことないですよ、あんなの。あれは発電に直接必要な設備じゃないし・・・」と楽観的だでした
「おまえ、バカか!そんな言い方で世の中が納得するはずないだろう。女房に聞いてみろ」
増田は、本当に奥様に聞いて
「所長(石崎)の言う通りでした。私の感覚が間違っていました」と素直に認めたとのことで
石崎芳行氏は「こいつは違う」と評価されました。
常に増田尚宏ユニット所長には
お前がいくら安全だと思っていても、世間はそうはみないんだ。
それは広報部長の経験でわかる。
俺は半分マスコミみたいなものだから、俺を説得できないならお前はユニット所長として失格!
」といいながら
増田を信頼し、事務系として足りない部分を増田に教わりながら
発電所長の任務をこなされたのでした。

石崎芳行氏が増田に対して「俺を説得できないなら失格だぞ」といいながら
事務系なので原子力の技術については知らないことが多い
でも知らないことは知らないと、増田には聞いてくる。熱心に所内をカメラを持って写真をとり
質問をしてくる。
そういう姿を見て、増田は、「石崎所長にまず原子力発電所のすみずみまで見てもらおう」と
毎日、石崎を発電所中連れまわし、説明を一生懸命、事務系でもわかるように、
「全身マスコミ」な石崎が、発信するときにしやすいようにしつづけました。
そんな増田を石崎は、発電所長として運営する立場として
外とどう接していくかを、地元の人たちや町長との対話の機会に連れて歩きました。

そして、石崎芳行氏が福島第二原子力発電所長を去る時に、清水社長から後任は誰がよいかと
聞かれたときに
「増田(尚宏)しかいません」と答えました。
その通り、増田尚宏氏が福島第二原子力発電所長に就任。
原子力事故の時に福島第二原子力発電所長として、危機を救ったとされる増田尚宏氏は
原発推進派の間で、その危機に際してのリーダーシップなどを評価され
「英雄」となりました。

櫻井よしこオフィシャルサイト

櫻井よしこ氏は、この広告で有名だと思います。

櫻井よしこと国基研

石崎芳行氏の増田尚宏氏評は以下の通りです
原子力屋はもっとわかりやすく語るべきです。
その感覚を持ち合わせているのが増田だと思います。
それができないなら、東京電力に原子力を扱う資格はありません。
それが本音ですね

東京電力では、2002年以降の事故に際して騒動があり、それをなんとか
事務系広報担当者の力で乗り越えようとしてきたのだと思います。
それほど、東京電力内において、特に原子力部門は閉鎖的が当たり前で
その閉鎖的な雰囲気を払しょくするために言葉を使って説明する
広報担当者を置くということで事故以前はやってきたのでした。

私は、この石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビネタは、櫻井よしこ氏関連で読んでおり
軍人のコンビとなんか通じるものがあるなと思いました。
ほほえましい部分もそうでない部分も。

しかし、私は、この石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビがもたらした
東京電力の広報の在り方こそが問題だと思っています。
事故が起こらなければ、インターネットが発達していなければ
おそらく石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビを私は山下・武藤コンビ並みに評価していたかも
しれません。
たしかにこの二人の、お互い足らない部分を自然に補い合いながら、普段は憎まれ口をたたいたりしながら
信頼を築いていかれた部分は、素晴らしいことだと思います。
でも、東京電力の事務系広報担当者頼みで信頼回復しようとするにも限界があるのではないか。
それにもかかわらず、限界を認めず、
柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に向けて突っ走ろうとするところは、
後世史家によって、厳しく糾弾されるのではないかと、思っています。

「未来永劫を考えたら、安いお値段」なのか。

「口止め料、5000万で手を打ちましょう」
「未来永劫を考えたら、安いお値段科と思います。
現役のあなたになら、出来る範囲です」

石崎芳行氏は相手の女性から、このようなFacebookのメッセンジャーを受け取り
5000万という金額が出た時に会社(東電)に相談したと動画で話しています。

この5000万円という金額をどう捉えたらよいのでしょうか。
友人と話した時には、「不倫ならせいぜい200万ぐらい」という話が出たので、
通常の相場からみれば、確かに随分高いのかもしれません。

この5000万円という金額について、相手の女性は文春砲で
「当時はやや感情的になっていたかもしれません。
しかし、私は決してお金が欲しかったわけでもありません。
男としても加害者代表としても、彼の誠意を見れてほしかったのです。
私と向き合ってほしかったので、だから5000万という極端な数字を伝えました」

と答えています。

私自身は宝くじで5000万円当たったらしばらく仕事しなくていいので
宝くじで5000万あたりますようにと七夕の短冊に願いを込めましたが、
未だに叶っていないので、仕方なく働いている身ですが・・・。

この女性が5000万円を感情に任せて要求したことは、
当然かもしれないと思っています。

なぜなら、
この方も被災者の一人であり、原発事故関連で塾を閉じたり(職が奪われた)、生徒がいなくなり
収入がなくなり苦渋の決断をされているからです。

https://ameblo.jp/1130gokusen/entry-12243038356.html
(ブログのリンク)まだ今は残っています。

東電社員に対して、「あなたは突然収入が途絶えて0になるものの気持ちが分かりますか!」と
激怒されたことが書かれています。

私は収入が途絶えたことは何回かありますが、突然というものではない。

でも被災地では、本当に収入も住居も、家族も奪われてしまった・・・・。
もし私がその立場だったらいくら必要だろうか・・・。
借金やローンはずっと膨らんでいくし、新しい家を探してすむにも
100万などすぐに飛んでしまう。
東電が被災者に対して支払った仮払いが100万だったように記憶していますが、
避難生活上ではすぐになくなってしまうでしょう。
それこそ、日常の細々した食事や、通院、移動費用などで。

親戚の家を泊まり渡れる方は少ないと思います。
それは、まさに「火垂るの墓」の戦後すぐのシーンを思い浮かべれば
わかるのではないでしょうか。

収入が途絶えたからと、すぐ就職活動をして決まるものでしょうか。
自営業者であれば、営んでいた事業の後始末と職探しと両方しなければならないので
お金がいくらあっても足らないという状況になっていたのではないでしょうか。
原発事故前に営んでいた事業でローンを抱えていた場合、
それは、利益も見込んでローンを組んでいたのに
利益がぱったりと途絶えた。
避難しろといきなり言われた。
どうしたらよいかわからない。

その点、サラリーマンの方が自営業者の苦悩を想像するのは難しいでしょう。
難しい手続きは会社がやってくれる。
借金やローンがあったにしても、会社が存続していれば何とかなる。
自分の中で会社の経営状態を考えなくてよい人が多いと思います。

石崎芳行氏は相手の女性のことを
金銭面でお困りだったためか、当初から
精神状態が非常に不安定でした。
」と言われています。
この金銭面でお困りだったのが、通常の失業状態が続いていたからではないのに。
原発事故さえなければ、100人以上の生徒からの月謝が収入として入ってきていた。
例え建物などのローンがあっても、生徒が増えて行くのを見込んでいたと
思います。
この点は改めて、気づかされたことです。

文春砲が出た時に、私はこの方のブログも読み、東京23区内にも賃貸できるほどのお金が
よくあるなあ。被災者といってもお金持ちではないかとか思ってしまいました。
だからといって被害に遭われた相当額の賠償はされてしかるべきで
そのために東電も賠償説明会を開いていたはずです。

ここで、この女性が東京電力の賠償相談会に出かけたときの状況を紹介したいと
思います。
先ほどのブログの記事をたどっていくとそのまま書かれています。
ブログが消されてしまったら読めなくなるので
スクショをとりました。



この方は東京電力に賠償請求をされていますが、
「賠償対象外」とされて、以後請求ができない状態です。

しかし一方では、テレビや日本経済新聞・週刊新潮で
「原発避難民がベンツ乗っている」
「東電からもらった賠償金で毎日遊び暮らしている」





という報道がされていました。

このような報道を見た同じ避難生活の方はどう感じるでしょうか。
東電から6500万円も賠償金を貰えて、家も建てられている。
震災前よりよい生活が出来ている。
そういう人がいるのに
なんで自分のところには賠償されないのか!
理不尽だ。

そう感じるのが当然かと思います。
被災地では、こうした理不尽さを抱えた人たち同士のささいなトラブルが
尽きなかったようです。

東京電力の3つの誓いは次の通り。
東電賠償「三つの誓い」

実際はこの3つの誓いは
まったく守られていないから
今もなお各地で「なりわい訴訟」が起こされています。

また、テレビの報道などで、東電からの補償金で贅沢しているイメージが流されたことにより、
自主避難している子供に対するいじめも酷いものです。

本来ならば、こうしたトラブルが少なくなるように
賠償されてこられる方の事情に耳を傾けながら
国から定められた基準にのっとり最大限賠償をすることが本来だったのではないでしょうか。

さて、石崎福島復興本社代表は、この賠償問題について、どのように語っているのか。



2013年7月12日に経済同友会での講演で2分ほど話しています。

「社員だけでは足りないので、委託や派遣の方にもお願いをして、1万人体制で当たっております。
「10兆円かかるとも言われていますが、責任を果たしていく」

賠償業務にとにかく人を集めてやらせて早く終わらせたい、という気持ちは伝わってきました。
1万人体制で行うことが、果たして「東電賠償の三つの誓い」に沿っているものなのでしょうか。
被害者に寄り添う賠償ができるのでしょうか。
戸別訪問をすると書いてありますが、
その1万人体制の、多くは派遣・委託の人間に戸別訪問が出来るだけの知識があるのでしょうか。
せいぜいがルーティン化された事務作業を言われた通りやるのがせいぜいです。

2013年8月29日現在の福島復興本社が出した賠償の状況などは
こちらの資料に詳しいです。
http://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/images/130829_01-j.pdf

私は、賠償、除染を一元化し、福島に寄り添うために設立されたはずの
福島復興本社自体が、役割を十分に果たせていないのに、
賠償も除染も復興推進活動も十分している。
福島はもう安全だというアピールをしてきたことこそが、
今回の一番の問題点だったのではないかと思います。
単に、男女の不倫関係で終わらせてはいけないと思います。

彼女は人間として石崎芳行氏を愛してしまった。
石崎芳行氏もまた、彼女を愛していたと思います。
しかし、置かれた立場の違いは決して乗り越えられるはずがない・・・。
彼女は、原発事故による被災者。
石崎芳行氏は、事故を起こした加害企業の重役であり、
彼にとって一番は東京電力の存続だったこと。
愛した女性が被災者であるにもかかわらず、被災者の痛みに寄り添うことがなかった。
そのことを彼女は被災者側で最も親しく接していてわかってしまい、
苦しんでいたのではないかと思います。

今もなお、福島を中心に全国には、東京電力の賠償方針に納得できないために
裁判を起こしている方が多数いること、
その裁判については、あまり報道もされません。
インパクトとしては、原発賠償金で遊び暮らしている、一部の方の様子の方が
私たちにも大きかったのではないか。
本来は福島復興本社が賠償業務を引き受けるなら、
業務委託化して1万人体制であたっていることよりも
個別事情にじっくり耳を傾ける東電社員を育てるべきだったのではなかったか。


この個別の事情にじっくり耳を傾け、国の定めた基準いっぱいに賠償をしていた
一井唯史氏は、上長から怒られても、意見を通すために身体を犠牲にして闘われた。
心身酷使しながらも、賠償業務を十分することがご自身の東電社員としての使命ととらえて
仕事に励んでいたところ、
寝耳に水のごとく「賠償業務はルーティン化するから」とある日
東電の上から「降りて」きて、激務が続いてうつ病になり、そして解雇となってしまいます。

それだけでなく、
石崎芳行・福島復興本社代表みずからが一部の恵まれた被災者と親しくなることで
それで賠償の義務は果たしていると思っている節があったのではと
思えてなりません。
そのような被災者を紹介する役でもあったのが、石崎芳行氏の相手女性でした。

石崎芳行代表が、Facebookを始められ、正月に避難されている方の
新居に泊めてもらったことを新年あいさつで語られています。

石崎芳行・東京電力福島復興本社代表のこうした行動は、
十分な賠償も受けられないまま避難を強いられている方々には
怒りを抑えられないものだったのではないでしょうか。
あまり表面化されることは少なかったと思いますが。

被災者のある人は、東電の制服を着た石崎芳行氏とも話したこともあり、石崎氏の人間性が好きになった。
東電は許せないけど、石崎芳行氏は人としてお付き合いしたい。
そうは思っていても
でもなにか割り切れないことがどうしてもあると
石崎芳行氏の相手女性に相談をしていたかもしれない。
「福島復興本社とは賠償をやっているというが、いったい何をしているのか」と。
そうでないなら、ブログの最後に福島復興本社について
このようなことはかかないはずです。

福島復興本社のミッションの一つが、賠償業務であるにもかかわらず、
賠償問題について、とにかく人数を多く投入し、早期に片付けたい、そして東京電力を存続させる
ということだけが、実は大切だったのだという本音がちらちら見えてくる。
だから「未来永劫を考えたら安いお値段」と言われてしまったのではないでしょうか。

日本経済新聞や週刊新潮、そしてテレビ番組は、賠償金を貰ってワンランク上の生活している人を
報道するより、真摯にこの木野龍逸氏が撮られた動画のような東電と被災者側のやり取りを
加工を加えず報道してもらいたいです。

真摯にといいながら、報道させないようにしよう、テンプレ謝罪で時間稼ぎをしようとする東京電力と
被災者側のやりとりは、下手な扇動番組より見ごたえがあること間違いありません。

東京電力福島復興本社初代代表

福島復興本社初代代表

石崎芳行氏は、東電内で「一番福島に顔が効く人物」と評価されています。
福島第二原子力発電所長時代、社用車を断って30分ぐらいの道を歩いて出勤されていたという話は
よくご自身でされているので、雑誌などの記事にもなっています。

その石崎芳行氏を代表とする「福島復興本社」が2013年1月1日に設立されることと
なりました。
どのような組織なのでしょうか。

福島県にある全ての事業所の復興関連業務を統括し、
原子力事故で被災された方への賠償、除染、復興推進などについて、
迅速かつ一元的に意志決定し、(太線は筆者)
福島県の皆さまのニーズにきめ細やかに対応してまいります。
また、その内容については、代表定例会見等で公表してまいります。

とあるように、東電副社長である石崎芳行氏を常駐させ、権限をある程度一元化させて、
東京電力による賠償・除染・復興推進活動の中心となる組織だと、
私は上の文章からとらえました。
東京電力ではおそらく意思決定はどうしても遅くなる。
なぜなら、取締役だけで20人ぐらいいるので、彼らを集めて会議をして決めるのも大変。
そして取締役に就任する人ほど、実は福島を知らない。
石崎芳行氏だけは、福島第二原子力発電所長としてのキャリアがある。
それならば、石崎芳行氏に権限を与えようということになったのではないでしょうか。

2013年年頭挨拶

ニコニコ動画
東京電力 福島復興本社 年頭訓示・所信表明 生放送


動画の最後に、「録音などしていない方のために、HP上にアップします」というアナウンスに東電社員がwwwwとなっているのが
面白かったので、文章を東電HPより探して全文掲載します。

http://www.tepco.co.jp/fukushima-revital/images/130104-j.pdf

このたび復興本社代表を任ぜられました石崎です。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、元旦にこの地に入りまして、地域の皆さま方と素晴らしい海から昇る初日の出を見ました。
新たな力を頂いた気持ちであります。
そして、今朝は、この近くの寮から30分かけて徒歩で出社いたしましたが、
この美しい山、海、この素晴らしい環境を、私どもは残念ながら汚してしまったということを改めて強く感じました。
そして、もう一度この素晴らしい自然のある故郷へ、
避難をされている方々が一日も早くお戻りになって頂くことに、とにかく全勢力をあげようと新たに誓いました。
社員の皆さん、思い起こしてください。
私どもが携わっている電気事業は、明治から この福島県に大変お世話になっております。
水力、火力、原子力、長い歴史の中でこの 福島県には大変お世話になってきました。
私どもは大変なご恩を頂いているわけです。
残念ながら今は、このご恩を仇で返してしまっている結果になっております。
しかし、 私どもはこのご恩を忘れてはなりません。必ず受けたご恩はお返しします。
今年は巳年 でございます。古来、巳は受けた恩を忘れないと例えられています。
私自身も今年、年男として、新たな気持ちで受けたご恩をしっかりとお返ししたいと思っております。
私はこの三が日、福島の現場第一線職場を訪問して参りました。
昨年来、福島第一原子力発電所では、命をかけて現場を守って頂いています。
福島第二原子力発電所も、大変な努力があって事故を免れた体験をしております。
原子力部門だけではありません。
福島第一の事故の収束のために流通部門や土木・建築部門をはじめ、
様々な部門の方々が一緒になって命がけで働いて下さっています。
広野火力発電所にも訪問して参りまし た。広野火力は津波で大変な被害を受けました。
社員と協力会社社員は、命からがら高台に逃げました。
そのような中でも、自分の命も顧みずに消防車を守った人たちがいます。何故かと聞きました。
消防車がなければ火力発電所は運転できないという決まりになっているため
、自分の命も自分の車も投げ捨てて消防車を守ってくれたのです。
猪苗代電力所、浜通り電力所の人たちも変電所、開閉所を守るために命がけで頑張ってくれました。
私は感激、感謝しております
昨年来、電気料金の問題、賠償の問題、除染の問題に、
営業部門、用地部門をはじめ、様々な部門の方々に色々な仕事をやって頂いております。
心から感謝しております。
これこそ東電魂の発露だと思いました。
私どもは 取り返しのつかないことを起こしてしまいましたが、必ずこれを克服しなければなりません。
また、東電魂を結集することにより、
福島に100年に亘るご恩を頂いてきたことに対してきちっとお返しすることが必ずできると思っておりますし、
必ずしなければならないと思っております。
福島第一の事故は歴史に残る事故であります。
しかし、それを踏まえたうえで、これもまた歴史に残る大事業である福島の再生に、
私どもはこの東電魂をもって、この責任をしっかり果たし、
受けたご恩を常に忘れず、被災されている方々の苦しみを常に忘れず、
必ずご恩をお返しします。

新たな皆さまと共に今日この場で決意いたしまして、私の所信表明とさせて頂きます。

この所信表明を聞いて、「東電魂の発露」で責任を果たそうという強い意志が伝わってきました。
しかし、肝心の「福島復興本社とは何をしているのか?ということがよくわかりませんでした。

それよりも、なんか戦前に皇道精神をもってすれば不可能なことはない、というようなことを
いわれていたあの方と被るように思いましたのでこの写真を掲げます。

石崎芳行氏の人物像

文春砲による石崎芳行氏評

写真:「福島復興本社設立所信表明時の石崎芳行氏」ニコニコ動画のスクショ
石崎芳行氏

 「震災直後から、原子力・立地副本部長として避難所を回り、
『我々が出来ることはなんでもやります』と謝罪を続けていた、
朴訥で生真面目を絵にかいたような人です。

家族を東京に残し、単身赴任で福島の社宅に住んでいます。
17年6月に福島復興本社代表を退任し、福島担当特別顧問に就任する際の会見では
『生涯をかけて福島のためにしっかり力を尽くす』と語っていました。(地元記者)」

私はこのような石崎芳行氏とYoutube動画上で初めて出会ったのがこの動画でした。



2011(平成23)年5月4日。あだたらに避難されている浪江町の被災者に対して
清水正孝社長の隣で、体調不良が続いていた社長に代わって合図を出しながら
土下座して謝罪している姿でした。
この動画を観ると、謝罪に慣れていない清水社長のうつろな表情。
石崎芳行氏と最初に罵声を浴びる大役を務められた方(この方も調べると、現在東電役員になられている)
が東電側として仕切っていることがわかります。
日本経済新聞のこの記事

一番左側に、当時原子力定例会見でも司会をしていた東電本店広報課長「デニーロ」氏もいるのがわかります。

事務系出身の福島第二原子力発電所長

石崎芳行氏の経歴をまとめてみました。

石崎芳行氏の経歴を以下の通りまとめてみました。

法学部を卒業されて事務系社員として入社され、営業部長や、広報部長などを歴任し、電気事業者連合会や動力炉・核燃料開発事業団にも出向された経験もあります。
各部署や出向先での人間関係を築かれた上で、畑違いの「福島第二原子力発電所長」に就任されます。
東京電力における原子力部門というのは、あまり他部署との人事交流もないところらしいです。
例えば、蓮池透氏(東京電力原子力部門。入社は石崎氏と同時期)によると
「他部門とはほとんど交流がない」ところで、原子力部門から他の部門に行くことが
少ないらしいです。
そして、福島の原子力発電所近くは、「町の中に東電がいる」のではなく
「東電の中に町がある」とのことです。
もともと寂しい街で、原発が出来てから国からの交付金や固定資産税が入り、ハコモノが次々と立てられたとか、
発電所関連への地元雇用で勤務している人とその家族が生活をしているという感じだったようです。
そして東電社員が街に溶け込んでいたというのはなかったらしいです。
なお、蓮池透氏は、本店勤務が長く、高速増殖炉の研究に携わったことがきっかけで、
「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と確信を持たれたようです。


原子力部門から他部門への異動が珍しいことは、
@onodekita 氏が先輩でもある姉川尚史氏が原子力部門から電気自動車開発部門へと
希望をだして異動された逸話からもわかります。
電気自動車から、柏崎稼働に走る姉川尚史常務の思い出

「石油エネルギーに頼り切っているクルマ社会を変えなくては」

 東京電力で原子力発電所を担当する技術者だった姉川尚史(たかふみ)さん(50)が、
電気自動車(EV)の開発を進めたいと会社に申し出たのは2002年のことだった。
 電力会社の花形部門から、海の物とも山の物とも分からない新分野への異動希望に上司らは驚がくした。
 電池でモーターを回すEVは、排ガスが出ず、環境に優しい乗り物として、
18世紀から始まる自動車開発史の中で常に注目され続けてきた。
が、航続距離の短さなどで普及せず、ガソリン車の後塵(こうじん)を拝してきた。

 当時は、充電に8時間もかかって航続距離は100キロ程度、価格は何百万円……。
「EVの普及は難しい」。
社内でもその見方が大勢を占める中、
姉川さんは、「地球温暖化が進む、これからの社会には絶対に必要なもの。だからこそ自分にやらせてほしい」
と粘り強く説得を続けた。

 姉川さんは大学院で原子力工学を学び、同社の発電電力量の38%を占める原発事業に約20年間、携わった。
発電の世界では、早くから石油だけでなく、原子力、天然ガス、水力と特定の電源に偏らない分散化が進められてきた。

 生活者の足であるクルマはそうではなかった。

 姉川さんの熱意に会社も重い腰を上げた。「やる以上は退路を断ってやれ」。そう送り出された。」

石崎氏の場合は、動燃出向の経歴を買われたのか、事務系出身なのに原子力部門、しかも発電所長抜擢に
かなり苦労されたらしいです。
弘兼憲史氏のインタビューでは次のように答えられています。

http://news.livedoor.com/article/detail/11648787/

【弘兼】聞きづらい質問になりますが、東電には隠蔽体質というものがある。
特にそれはいわゆる原発を扱う「原子力屋」に顕著のような気がします。
中にいる石崎さんはそのことをどうお考えですか?
【石崎】私は原子力部門、その体質に対してものすごく批判的でした。
動燃(※)が「もんじゅ」で事故、東海村でアスファルト火災事故を起こしたことがありました。
私は動燃に出向して、動燃改革に関わりました。
そして、原子力ムラの常識に唖然としました。彼らはとにかく優秀です。超優秀です。
しかし、社会常識がない。
「俺たちは30年間これでやってきた。お前みたいな事務屋に何がわかるんだ」という態度でした。
【弘兼】そんな「身内意識」が強い中に飛び込んで、どうしたのですか?
【石崎】当時は事故隠しなどで、「嘘つき動燃」などと呼ばれていました。
このままでは組織として持ちませんよ。社会から認められなければ、
どんなに凄いことをやっても駄目ですというのを、1人ひとりに会って懇々と話し合いました。

※動燃……動力炉・核燃料開発事業団。高速増殖炉、新型転換炉の開発を専門とする事業団だった。

最初は元々原子力部門育ちの部下たちと関係をつくるのも大変だったのでしょうが、
増田尚宏氏と尊敬信頼関係を築き、あまり地元の住民と東電社員との関係が少ない場所においても
積極的に入っていき関係づくりを大切にされたように思えます。
増田尚宏氏との関係は、のちの福島復興本社と廃炉推進カンパニーでペアになるぐらい強い信頼関係だったようです。
私でも、自分がメンタルが強くてこの人に仕えられるような立場なら尊敬していたかもしれない、そんな人のように
見えます。

そして、最近Twitterで知ったところによると、勝俣会長主催の「御前会議」に福島第二原子力発電所長時代出席を許されていた
とのことでした。


これはすごく興味深いです。
石崎芳行氏以外、例えば福島第一原子力発電所長も「御前会議」に出席していたのか。
など人事面で興味深いです。