大正時代の幼年学校

昨日の投稿でご紹介した武藤章さんの後輩でもある
松村秀逸著『三宅坂』には、かなり面白い話が
あります。

陸軍中央幼年学校

その一つが、大正時代の幼年学校がどのようなものであったかです。

大正時代とは、西暦だと1912年7月30日から、1926年12月25日までをいいます。
この間、ヨーロッパでは第一次世界大戦に、ロシア革命など大きな事件がありましたが、
日本ではわりと「ゆとり」があった時代というイメージだったのではないでしょうか?

当時の幼年学校は、厳しいと言えば、厳しかった!らしいです。

例えば

  • 万年筆使用禁止
  • 歯磨楊子は竹製でなければならない
  • 松井須磨子主演のカチューシャを歌ったら処罰!
  • 生徒に対し、新聞は切り抜きしか読ませない。
  • 厳しいですね~。

    松井須磨子さん主演のカチューシャって
    今では高校日本史の教科書にも記述があるぐらいで、
    「暗記しなきゃならないの~」的な扱いではありますが、
    当時としては、教育的によろしくないもの扱いだったのですね。

    松井須磨子

    でも、日曜日には外出すれば、生徒は新聞・小説は読んだし、
    酒もたばこも飲んだし
    外から見るイメージよりは窮屈ではなかったらしい。

    よく、寒い時期でも全員整列直立不動して、
    軍人勅諭を奉読するような写真が少年雑誌に
    あったらしいですが、それは、満州事変以降の話だったということです。

    精神的な教育もそんなに喧しくなかったという・・・。

    現代の我が国のどこかの私立中学・高等学校の方が、よほど厳しいかも・・・。

    それに今では酒・たばこを許す学校があるなんて報道されたら、
    ネット上で大バッシングが起こるでしょう。
    (現実は高校生でも喫煙者がいるであろうというのは、まあ、お察しくださいですが、
    コンビニでも年齢確認をしたりするし、値段も高いのでそんなに高校生の稼ぎでは
    買えないのではとも思うのですが)

    幼年学校では、「おこづかい」制度があったということで、
    50銭以上のこづかいをもらう時は、
    日本紙に願書を書く必要があったということです。

    「特別小遣金願
     一、金50銭也。
     右、洗粉代」

    として受け持ちの中尉に提出した生徒がいたとか。
    さっそく生徒は将校室に呼び出され、「洗粉代とは何か?」と
    詰問を受けたと。

    生徒曰く、「国漢の先生が、顔の綺麗な生徒がすきだから、私も落第しそうですから
    洗粉を買って磨きたいと思います」といって、小遣いをもらい
    洗粉はお菓子に化けた、ということです。

    結構軍人さん、甘党いるんですね~。
    のんべえの方が多いように思いますが。

    この方は超・甘党なんですよ!
    山下将軍

    武藤章中将の「あだな」

    武藤章中将は、御自身でも

    「私は告白するが、私は自信を以て常に直言する。
    従つて私を真に理解し又永い交際の者はよいが
    初めての人々は私の言葉つきや風貌から私を誤解する
    ものの多いことを知つてゐる。この私が軍務局長に
    二年七ヶ月もゐたのであるから、相当敵も出来たらうことは
    否定できない」

    と書いておられるように、相当誤解されやすい方で、敵も多かったのは
    事実だったろうと思います。

    私自身の武藤章さんとの出会いは、書店にあった
    東京裁判関係の書物でした。
    その時に、山下大将が降伏されるときにとなりにいたので
    あまり陸軍関係の知識がなかった私は、
    「なんで、この人軍務局長だったはずなのに、山下大将のとなりに
    いるんだろう。きっと陸軍中央部からの監視として派遣されてきたんじゃないかなあ」

    と思っていました。

    何だか近寄り難そうな雰囲気だとも感じたからです。

    そんな武藤さん自身には、いろんなあだ名がつけられてます。

    「無徳」(ムトウではなく、「ムトク」)
    「傲慢不遜」(これは良く知られている)

    マイナーなあだ名が一つあります。

    それは、何と

    カメレオンです!

    Disney 米ディズニー公式 プリンセス Princess ラプンツェル Rapunzel カメレオン パスカル pascal?財布

    画像どうしようかと思いましたが、
    個人的には「かわいらしい」のがいいなあとおもったので
    ディズニーのものにしました。
    これ、改めてみると、かわいい(ディズニーのキャラクターはあまり知らないのですが、
    今度チェックしてみたくなりました!)。

    なぜ、カメレオンなのか?

    武藤章中将の同郷(熊本)の後輩である
    松村秀逸少将(陸士33期。=武藤さんより8期下)の著書『三宅坂』によると

    「武藤さんは巾の広い性格だった。
    物わかりもよかった。視野の狭い連中からはカメレオンなどと
    悪口を言われたものである。

    理想を固執するよりも現実的だった。
    いつも目標は、低いところにとっていた。
    だが、これを達成するためには全力を尽くした。

    その全力の尽くし方が猛烈だったので、
    盛望四隣を圧した感があったが、
    話せばわかるひとだった」

    と書き記しています。

    おそらく武藤さんの猛烈さと、考えが変わったときに部下として対処できない
    人たちが言っていたのだろうなと思います・・・。

    さらに、松村氏は武藤さんの第14方面軍参謀長時代のことについて

    「山下さんの方がイライラしそうになると、『閣下が余りにこまかいことを
    いわれると、参謀長のいうことがなくなりますヨ』という感じで
    輔佐していたとのこと。

    何だか世に伝わっている「大山・児玉コンビ」とは少し違う感じがしますね。

    山下さんの方がかなり細かかったとは意外に思う人も多いかもしれないけれど、
    そうだったということです。
    山下さんが細かいことをいわないで済むように輔佐をする・・・。
    これって誰もができることではないなあと、改めて思いました。

    山下奉文大将と武藤章中将

    山下・武藤両将軍

    この動画は、以前のブログの時に、山下奉文大将と武藤章中将のお写真を
    動画にしたものです。バックの曲は大好きな「セピア色の写真」と「想い出をかさねて」
    というアンドレ・ギャニオンの曲を使いました。

    ところで、この二人は、二・二六事件前後の陸軍中央部で、派閥問題も絡んでか
    山下=皇道派 VS 武藤=統制派 と対立関係にあったとされています。
    そのせいか、「思想は異なっているが、気が合っていた」とか書かれています。

    私自身は、山下さんと武藤さんが、二・二六事件前後の時期には職務上微妙な相違が
    あったことは確かだと思います。それはおそらく、山下さん自身が、わりと青年将校に寄ったような
    言動があり、青年将校にも誰にも誤解されていたからだと思います。
    例えば「岡田(啓介首相)なんかぶった切れ!」

    この二人は、前の稲垣副官の手記によると、
    山下さんが大佐で歩兵第三連隊長時代で、武藤さんが歩兵第一連隊付
    (連隊長が本間雅晴大佐。連隊付中佐というのは、別名「慈母中佐」といわれて
    連隊長の「女房役」だった。実は武藤さんは本間さんとも仲がよかったのです!)
    だったころから付き合いがあったようです。
    武藤さんは、実は二・二六事件の時に天皇陛下の不興を買った山下さんを
    傷つけないようにフォローも陰ながらしていたらしいです。
    なので、よく言われるように、昭和13(1938)年に北支那方面軍参謀長と参謀副長として
    コンビを組んだ時に、半藤一利さんが言われるような心配はなかったのではないか?と思います。
    山下さんも武藤さんも、ごく自然にコンビを組んで仕事に励んでいたのだと思います。

    この北支那方面軍参謀長・参謀副長時代にも、「天津英仏租界事件」などの様々な困難を
    ともに超えたというのもあり、少しの間ですが、武藤さんが近衛師団長だったときに
    まだ山下さんは第25軍司令官としてシンガポールにいたということもありました。
    二人とも、お互いを尊敬・信頼し合っているというのが、他のどの部下たちにも
    伝わるような関係であったのは事実だということです。
    こういう関係が持てた二人は、仕事上では幸せだったのではないかと思います。

    やっぱりガラケーは手放せない!

    ついにドコモまでがiPhoneの発売に踏み切ったということですね。

    やけに安いドコモ版iPhone 5s/5cのえげつない罠、本体価格が9万円半ばで中途解約は困難に

    私は実はドコモのガラケー(シャープのSH-01B)を3年以上も使っていて
    解約してスマホにしようかどうか、悩んだこともありました。

    SH-01B
    http://www.nttdocomo.co.jp/support/utilization/product/sh01b/
    が、結局このガラケーを使うことにしました。

    なぜ、ガラケーを使うことにしたのか。

    〇通信費がスマホより安い
     これは、ユーザーがどのような相手に電話するのかによってかわってきますが、
     私の場合は、今の使い方で、ドコモのスマホを使うと、月に15000円以上も通信費がかかると
     判定されました。(これはドコモショップに相談すると教えてもらえます。
     その際に、自分の使っている機種の暗証番号などは控えていきましょう!)
     ちなみに、今の私のガラケー通信費は、月に4200円前後です。

    〇中途解約するときの値段が高い!
     私も、このドコモのガラケーを解約しようとしましたが、解約月以外では、解約料金が
     約9000円発生するのと、MNP(番号そのままで他社に移す)と2000円の手数料を求められる
     ということを知りました。
     現在、ドコモがauやソフトバンクに移っていったひと向けに、
     ドコモのお帰り割というキャンペーンを実施するとこのことですが、
    http://www.nttdocomo.co.jp/iphone/campaign/okaeri/index.html
     結果として、ユーザーの得にはならないと思います。
     ドコモからau・ソフトバンクに乗り換えるときに、1万以上払っている人が多いと思うから。
     (その他、機種代金の分割が払い終わっていない場合とかはそちらを払い終わらせないといけないし)

    意外に携帯を買い替えるのってエネルギーがいりますよってことです。

    さらにiPhoneの本体機種は、64GBだと、95,760円てことですから
    それなら、ipad miniか、nexus7を購入した方が、結果として安い!



    (各社とも、「2年間はユーザーを縛る」という強い思いがありますから、
    安く見せる手口を使ってますが、本体価格は驚くほど高いものです)

    iPhoneの画面は、目の悪い私には小さく感じます。
    タブレットの方が画面が大きい分、目に優しいと思っています。
    目が疲れる方、画面が大きい方が良い方は、
    ガラケーの魅力を再評価してもいいのでは?
    ちなみに親しくアドバイスを下さっている家電量販店の方は、
    「ガラケーはいいですよ」と。(ドコモやau,ソフトバンクの方ではない)
    「ガラケーとタブレット、これ最高!」とのことでした。

    横須賀鎮守府司令長官官舎

    Facebookで親しくお付き合いさせていただいている
    中久保勲さんからの情報で知りました。

    神奈川新聞社の記事です。

    >旧海軍の横須賀鎮守府司令長官官舎の竣工(しゅんこう)100年を記念した講演会と見学会が
    22、24の両日、横須賀市田戸台の海上自衛隊田戸台分庁舎(旧長官官舎)などで開かれる。

     「横須賀の文化遺産を考える会」(長浜つぐお代表)の主催。22日は午前10時半から、
    郷土史研究家の長浜代表による講演を横須賀市西逸見町の市生涯学習センターで行う
    。24日は午前10時から、田戸台分庁舎で現地見学会を実施する。

     分庁舎は1913年に建てられた洋風館と和風館の接続住宅。34代にわたる歴代の長官が居住したが、
    戦後は米軍に接収されて在日米海軍司令官らの住居として使われた。69年に返還され、海自横須賀地方総監部が管理している。

     講演は、創建時から戦後の混乱期を乗り越えて現在に至る100年を検証する内容。
    設計に当たった日本人初の英国公認建築士の称号を持つ桜井小太郎の足跡や米軍に接収されていた当時の使われ方、
    近年明らかになったステンドグラスの逸話などを紹介する。

     参加費は全2回で千円、定員は先着60人で、18日が締め切り。問い合わせは同会電話046(826)0848へ

    http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1309040029/

    この横須賀鎮守府長官官舎は、桜の時期しか開館されておらず
    私はその時期を探って、頑張って行ってきました。

    京急県立大学駅で下車して、徒歩15分ぐらい。
    坂をのぼります。

    すばらしい桜と邸宅が見られて幸せな気持ちになりました!(^^)!

    このようなところです。

    ●桜の時期の外観

    yokotin_kansya

    ●執務室

    DVC00033.JPG

    ●和室

    washitu_yokotin
    ここに一時期長官として住まわれた方には、
    米内光政大将(1935年2月〜)などがいらっしゃいます。
    米内光政大将はちょうど2・26事件の時に横須賀鎮守府長官でした。

    また、築100年ということで、実は横須賀鎮守府長官をつとめられたことが
    なかった東郷平八郎元帥や、日露戦争直後に横須賀鎮守府長官になられた
    上村彦之丞大将は、ここに住まわれたことはありません。

    中々行けない場所でもあるので、もしこの日行けるならば行っておいた方が
    よいと思います。

    私だったら、ランチは料亭小松で頂き、

    2009-05-31 14.59.21

    料亭小松のHP
    http://www5f.biglobe.ne.jp/~ryoutei-komatsu/

    ★約5,000円ほどで、予約が必要との事。

    そのあと、タクシーでこちらに向かい、
    しばし、横須賀鎮守府長官になった気分に浸りたいものです!
    贅沢だなあ〜〜〜。

    武藤章中将はインパール作戦をどう思っていたか?

    武藤章中将は、昭和17年4月に、「栄転」と称されて
    近衛師団長(在スマトラ・メダン)に赴任しました。

    実際の着任は、5月11日だったようです。
    (4月20日付ですが、それ以後、武藤さん自身が熊本に寄り
    お墓参りなどしてから出発された)

    武藤さん自身が陸軍省軍務局長という、陸軍大臣の補佐という立場を
    離れるにあたっては、いろいろと噂もあったし、武藤さん自身も
    いいたいことがたくさんありましたが、これはここでは触れません。

    武藤さん自身は、支那事変の時は拡大論者で、陸軍部内での多数派代表だったけれど、
    その後かなり反省をして、「支那事変を収束させ、アメリカなどとの戦争は絶対避けるべし」
    という、当時としては「マイノリティ」な立場の中で、いろんな方面からバッシングを
    受けていました。

    そのような武藤さんが、実際初めて、シンガポール戦でも功績をあげた
    近衛師団の長になって赴任し、驚いたこととは何でしょう?

    軍隊一般はもう(大東亜)戦争には勝ったと信じている者が多かった」ということ
    です。
    さらに、スマトラの日系農園経営者なども、戦争によって更に利益が増えると考え
    利益の分け前争いをやっていたということも。

    そういう人たちに
    戦争の将来は予測を許さぬから、戦力強化を第一に」というのは
    相当な反発を買ったと思います。

    比島から巣鴨へ―日本軍部の歩んだ道と一軍人の運命 (中公文庫)

    耳障りのよいことをいうのは簡単だけど、
    自分の思うところが、相手にとって耳障りのよくないことでも
    きちんと伝えるのが、武藤さん流だったりします。
    おそらく、山下大将は、武藤さんのそういう正直なところを
    すごく信頼していたのではないかと思います。

    武藤さんの近衛師団長時代からの副官・稲垣忠弘中尉によると、
    武藤さん着任後3ヶ月かかってようやく、スマトラ島の空気が
    戦勝気分ではなくなったとか。
    これは武藤さん自身が、師団司令部にこもっておらず、
    隷下部隊を視察し、指揮官たちに自分の意志を伝えるということを
    何度もやったからだと思います。
    これはかなり地味なことで、忍耐が強くないとできないことです。

    その頃、近衛師団参謀長であった(武藤さんの参謀長)小畑信良大佐(陸士30期)が
    少将に進級し、第15軍参謀長に栄転が決まりました。
    小畑信良少将

    稲垣副官によると、
    武藤師団長の宿舎に挨拶にやってきた小畑少将と、随分長く話していたようで、
    時々、武藤師団長の大声が聞こえてくるという
    珍しいことがあったようです。

    ★武藤章さんは、よく怒鳴りそうに思われるかもしれませんが、
    そんなことはなかった人だとは、近くに仕えた人の評価なのが
    意外に思う方も多いと思います。

    「インパール作戦」が計画されていたことに対する大反対<(`^´)>
    だったようです。(副官の立場ではそれが精いっぱいだと思います)

    何とか参謀長として赴任するにあたり、作戦を実行せぬよう
    司令官を説得しろ!!!!

    という様子だったとか。

    それからひと月後、小畑少将が突然武藤師団長の宿舎を
    訪ねてきて、
    閣下!!力及ばず。クビになって帰ってきました
    と無念そうに報告されたとのことです。

    その後しばらくして、「死の行軍」インパール作戦が開始されました。