丸福金貨

たまに「山下財宝」とかいって話題になるのが
この金貨。

丸福金貨

この金貨などの埋蔵金は都市伝説の一つともなっているようですね。
フィリピンではいまだにこの埋蔵金をめぐってトラブルが頻発しているようです。

私ももしフィリピンにいって、山の中に入れるだけの「強さ」や「体力」があれば
やってみたかったものだ・・・(いや出来ないだろう)

この「丸福金貨」について、稲垣副官(武藤章中将専属副官)のこんなエピソードが
あります。

稲垣副官は、おそらく1945年9月2日の降伏調印時には、武藤参謀長とは離れ離れになっていたと
思います。最後の別れは、武藤章中将が山下大将に遅れて下山する9月1日(山下大将は足が弱いからという
理由で8月31日に下山。そこに海軍との調整など残務処理を終えて武藤参謀長一向が合流することとなっていた
らしい)だと思います。

その後、山下大将が戦犯容疑者となり、参謀長であった武藤さんはその山下さんに終始付き添い、自らも
いつ戦犯指名を受けるかわからないなかで過ごしていたようです。覚悟もあったようでした。

一方で副官の立場の稲垣さんは、一般俘虜者として収容所にいたものと思われます。

戦犯容疑者と一般俘虜者は、柵で隔てられ、行き来することもかないませんでした。

一般俘虜者として収容された者のなかには、将校だった者、そうでない者
皆一様に私物を没収されていたはずが、なぜか小さな「貴重品」を隠し持っていた者も
いました(こればかりは、どんなに厳密に荷物検査しても抜けはあるものです)。

特に将校の中には、「丸福金貨」を持っていて、それを米兵の所有するお菓子や煙草などの嗜好品に変える
者がいました。
元の部下を使ってやらせる者もいたぐらい、現実は悲しいかな、道義や権威、誇りなど失墜し、自らの欲望を
抑えることができないほどでした。

そんなある日、稲垣副官は、山下大将の最期をみとった教誨師・森田正覚師を訪ねます。

「先生、お願いがあるので聞いていただけないでしょうか。
というのは、他でもありませんが、あなたもお聞き及びのように、
現今しきりに元将校の闇取引が行われております。
私も苦々しいことだと思っております。

しかし、こんな状態も人間の精神が今のように正常でない場合は仕方がないことでしょう。

いったい、あの出所をご存じですか。
さよう、あの金貨は、山下軍司令部の軍資金でした。
司令部がバギオから脱出してキャンガンに向かう途中、
まさかの時の用意にと、閣下が幕僚や司令部内の将校に分け与えられた
時計や丸福金貨なのです。
それと若干のドル紙幣をお与えになりました。

いわば閣下の情のこもった涙金だったのです。
私もここへ来るまで肌身離さず7・8枚持っていましたが、
入所前に米軍当局に預けました。

私は入所するとき、まことに悪いことだとは思いましたが、
一個だけ、閣下の形見として持っていたいという欲求に駆られて
ずっと隠し持っているのです。
どんなことがあってもこれだけは離さないと決心していたのですが-

ご覧のとおり、私の部下や同僚が非常に嗜好品に困っています。
まるで乞食のように米人の吸い殻を奪い合って吸っています。
今の彼らには、まるで恥も外聞も忘れ果てたように思われるのです。
先生、あなたは米軍とも親しくしておられるようですが、
何とかひとつ、このただひとつの金貨を煙草と代えていただけないでしょうか。
閣下の愛しておられた部下たちに、せめて一本ずつでもやりたいのです。
たとえ禁を犯した行為であっても、私はそうせずにはおられないのです。
どうか内密でお願いできないでしょうか。」

この金貨は、煙草40箱に変わりました。

稲垣副官自身は煙草を吸わない人とのことですが・・・。

「賢者の贈り物」的な、切ないけれどよい話と思いましたし、
この話から、あの丸福金貨というのが、バギオの軍司令部が爆撃されて山岳生活に入る一番つらかったであろう
ときに形見分けにされたものであったことがわかりました。

話変わって、この話を書きながら、聞いていたのがこの音楽でした。

ミュージカル”Mozart! “より、”Gold von den Sternen”(星から降る金)という曲。
すごくメロディーがきれい。

日本語では、七瀬りりこさん(元宝塚歌劇団宙組娘役)のものがあります。

こうして日本語で聴くと、またドイツ語と違った良さがありますね(歌っている方が上手いのもある)。