「サリンまくために出家したんじゃないんです」

教祖の法廷での中川智正さんの言葉として
最もインパクトのあるものだと思います。
「中川智正」という人物を知りたいと思った人が
まず、この言葉をwikipediaなどを見て
まず目に入るだろうこの言葉なのですが・・・。

いったいどのような公判上のやり取りがあって
この言葉が出たのでしょうか。

私が疑問に思うのは、
同じ死刑判決を受けた、豊田亨さんや広瀬健一さん、林(小池)泰男さんの裁判では
「被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。
およそ師を誤まるほど不幸なことはなく
この意味において、被告人もまた不幸かつ不運であったと言える」
と言われているのに対して、
中川智正さんの場合、上記の文言を裁判官から言われてはいないのは
なぜなのでしょうか。

もっとも、裁判長が中川智正さんと、豊田亨・広瀬健一さんらと違うのもあると思います。
中川智正さんは公判途中から感応性精神病、解離性精神障害の可能性もあるのでは?と
裁判関係者に思われていたけど、それならば、豊田亨・広瀬健一さんも同じでした。

さらに、中川智正さんの確定死刑囚となってからの拘置所内での活動から
彼を知った者(私もその一人)にとっては、
「麻原との出会いさえなければ・・・」と拘置所内から化学論文を書ける才能を
最初は惜しんでいました。
でも「麻原との出会いさえなければ」とは、中川智正さんの場合は
簡単に言えないのではないでしょうか。

だからこそ、この「サリンをまくために出家したんじゃないです」という言葉が
出る前後の公判の様子を見ていきたいと思います。

これまでのエントリーでは、中川智正さんが教祖の公判などで
オウム三大事件などへの自身の関与をどうとらえていたかを
取り上げてきました。

  • 松本サリン事件
  • 地下鉄サリン事件
  • 公証役場事務長拉致事件
  • 坂本弁護士一家殺害事件
  • そして、中川智正さんが出家した頃の「指導役」でもあった
    村井秀夫さんの刺殺された時の所感。

    これらを語るにあたり、中川智正さんは
    「自分の神秘体験をあるがまま語る」ことに特にこだわっていたことが
    わかりました。

    「光が降ってきた・・・」

    私個人はブログを書くにあたって、
    この光ってどんなものだったのですか?
    と中川さんに聞きたかったです。
    今や永久に不可能ですが・・・。

    文字だけでなく、何か光の写真をと探しても
    中川智正さんが見えた光とは何なのかが
    どうしても想像できなかったのでした。

    だから、どんな美しい光の写真やらイラストを出したとしても
    却って失礼になると思い、出せませんでした。

    中川智正さんにとっては、「神秘体験が(教祖への)尊敬のすべて」
    (教祖第180回公判、2001年1月11日)
    なのだから。

    教祖第199回公判においては(弁護側証人として出廷)
    坂本弁護士一家殺害事件に関する尋問に関連してこんなやりとりがありました。

    (出典:『検察側立証すべて終了―オウム「教祖」法廷全記録〈7〉2002年 毎日新聞社会部)



    弁護人:「捜査当局はあなたの精神状況に関心があったのでは
    中川:「あまり聞きたくなさそうでした。
    (検察官に)『人が亡くなったとき、光が降ってくる』といったら
    笑われて、それで終わりだった。

    弁護人:「(逮捕された)平成7年(1995)年5月頃の神秘体験は」
    中川:「『修行しろ』という声がした
    弁護人:「誰の声」
    中川:「麻原氏」

    弁護人:「脱会のきっかけは早川(紀代秀)さんの脱会でしょ。脱会すれば教団に迷惑がかからないというのもあった?」
    中川:「それもあった」

    弁護人:「教団が間違っているから脱会したのではないのか」
    中川:「教義が受け入れられないのは分かっていた。
    それに改めて気づいたから脱会したのではない


    弁護人:「当時、麻原さんについてどう考えたか。
        『修行しろ』という声を聞いてどう思った」

    中川:「修行した。レンゲ座に足を組んで、心の中を見つめたり、麻原氏のことを考えた」

    弁護人:「(坂本弁護士一家殺害事件の際も)誰かの声がしたというが」
    中川:「ポンと後ろから押されたような感覚」

    弁護人:「声に抵抗しようとは」
    中川:「ない。怒鳴られて姿勢を正す、そういうもの」

    弁護人:「追い込まれた時にやめろというのが神の声ではないのか」
    中川:「主体的に生きている感覚がなかった

    弁護人:「(あなたは)人に責任をなすりつける様子はうかがえない。
    うらみつらみはないのか。」
    中川:「遺族の人たちが私たちを非難するのはよく分かる。加害者の私はそういう立場にない」

    弁護人:「オウムに入って後悔しているのか」
    中川:「坂本事件で、薬物を取ってこいと言われたところで、
    ひょっとしたら(引き返せた)と思うが、
    オウムに入ったのは神秘体験の話になる。
    誰の責任でもない。少なくとも教団側の責任ではない。
    麻原氏がそれを起こしたとしても責めるわけにはいかない。」

    弁護人:「ぶつぶつ言っている麻原さんを見て笑っているが
    中川:「しょうがないと思っている。憎いという感情がない
    弁護人:「最後に麻原さんに言っておきたいことは」
    中川:「急に言われても困る・・・・・。考えさせて下さい」

    この日の尋問中、中川智正さんは教祖の「ぶつぶつ」を聞いて
    笑っていたのですね。
    そして、「最後に麻原さんに言いたいことは」と問われて
    「急には答えられない」と答えています。
    この点は、豊田亨さんや井上嘉浩さんたちとは異なる部分だと思います。

    その翌日、麻原第200回公判が開かれました。(2001年6月22日)
    この時は検察側証人として出廷し、麻原弁護側の反対尋問に答える形となりました。

    弁護人:「神秘体験を聞いていると、うそとは思わないが、
    一般の人には異常ではないかと思える

    それでも(自分の刑事)責任能力を争う気はないのか」
    中川:「病気ではないと思う。この世界から逸脱したものだと思う。
    裁判で争うのはどうかな。麻原氏も教団の人も、ちゃんと説明できない。事件の本質だと思う。」

    弁護人:「死刑になろうと言っていたが」
    中川:「それ以外に責任の取り方があるのか」

    弁護人:「麻原氏に言いたいことは」
    中川:「(拉致事件で死亡した)仮谷さんと松本サリン事件の民事裁判に出た。
    本当は麻原氏に話を聞きたいが、
    麻原氏が証言する見込みがないと、代わりに証人として出た。
    私の話を聞いて仮谷さんの息子さんも遺族の方も泣いていた。
    死んでお詫びをしますとしかいいようがなかった。麻原氏にもそれを分かってほしい」

    弁護人:「ほかには」
    中川:「地下鉄サリン事件で、医者をしている友達が、
    『まさかお前が作ったサリンとは思わなかった』と人づてで聞いた。
    教団の構成員は麻原氏に従わざるを得なかった。マ
    インドコントロールされていたともいうが、もともと特殊な人が集まっていたと思う。
    世俗的なものを捨てて活動していた。
    それが捜査が入り、活動を止められて、司法の場に引き出され、現世に戻された。
    現世的なケアがなされないと
    井上(嘉浩)くんらが口を極めて非難している。
    彼らのステージが低いとか、それだけではない。
    麻原氏、尊師、分かって欲しいです。」

    弁護人:「宗教的なケアがない?」
    中川:「現世的なケア。お前たちが悪いんじゃない、と口で伝えないと
    教団はシバ大神の名を標ぼうしていた。
    尊師、神々についてどうお考えか。
    何らかの形で信じていた人たちに示してほしい。
    サリンを作ったり、人の首を絞めるために出家したんじゃないです

    その時の教祖は、ぶつぶつ口を動かし目を閉じていたそうです。

    以上は毎日新聞社会部の書物から引用しましたが、

    朝日新聞(2001年6月23日朝刊)
    となると、より細かく記されています。

    毎日新聞の記事では教祖側から見たイラストはこちらです。



    「サリンをまくために出家したんじゃないです」と言ったとき
    こらえていた涙が突然に噴きだしたように声をあげて泣き出したのだ。
    泣き声は数分間続いた。
    (中略)
    「教祖」への恨みつらみはない。
    「何が一番悪かったかといえば、
    やはり自分が生まれてきたことが悪かったと、
    そこまで行ってしまう

    (一連の事件は)麻原氏のせいという気持ちはない。
    たしかに教祖である麻原氏がいなければ事件はなかったが、
    私たちがいなければまた、事件はなかったんです」

    「尊師は教団がやがて破滅するといったことがあった。でもこんな風に
    誰からも指弾される形で破滅するとは思っていなかったのではないか」

    本年7月6日の報道時に、
    中川さんの「サリンをまくために出家したんじゃないです」を引用した報道もありました。
    その言葉が出てきた背景までは、どの局も、マスコミも触れていませんでした。
    これは本当に残念に思います。
    中川智正さんも、あの世で「予想はしていたけど、残念」と思っていたのではないかと想像しています。

    中川智正さんは、医学部を出て医師免許を取っていたのを教祖に目を付けられ
    出家させられて、マインドコントロールを受けていた。
    それで各種犯罪に手を染めてしまった。
    それがこの2001年の教祖公判時にマインドコントロールが解けて
    「私たちはサリンをまくために出家したんじゃない」
    いきなり言ったのではないのです。

    確かに中川智正さんも、出家者として各種の訓練を受けたとは思います。
    その効果の結果考え方が変わった部分ももちろんあるでしょう。
    でも大切なことは、
    出家したのは、自分の神秘体験が原因であり
    その神秘体験については教団の誰も、
    麻原氏でさえも理解しなかったものである
    という部分ではないでしょうか。

    神秘体験のため日常生活に非常な支障をきたし、
    救いを求めて絶望感から出家をした中川智正さん。
    出家はしても、いつも孤独でした。

    いやいや、恋人まで出家したのだからそうではないという人もあるでしょう。

    恋人も教祖も含めて、理解されない神秘体験をどう捉えたらいいのか。
    まったくわからない。
    説明しようにも言葉がない。

    そのような、言語化できない孤独感の中で、教祖に光を見て、それに従って生きていた中川さん。
    教祖が、常識から言って理不尽やおかしなことを沢山してきたのを(破戒の部分も)受け止めてきたのだと思います。

    教祖が光だったから。

    オウム関係者が、中川さんも含めて逮捕され、現世に戻されて
    教祖が何か自分たちに現世のケアをしてくれることを期待もしていたのでしょう。
    しかし、教祖は語らない。ケアもしない。だんまりを決め込み、ぶつぶつ言っているだけ。

    むしろこの言葉を裁判で叫んだことで、中川智正さんとしては
    絶望的な孤独感と、強い希死念慮に苛まれて
    今すぐにでも死刑執行してほしいと強く願ったのでしょう。
    死刑執行されて早く現世から消えたいと。

    しかし実際には、中川智正さんが「自分が生まれてこなければよかった」と発言したことが
    自身の裁判でも再度蒸し返されてしばらく苦しむこととなります。