故・中川智正氏の神秘体験


中川智正氏の最期については、人の手を借りずに自分で歩いて刑場に向かうなど
立派なものだったと言われています。
そして、wikiを見るに、
ますます、「なぜ善良で、医学を志した、能力の高い者がカルトに走ったのか」
と疑問を持つ人が多いと思います。
私も中川智正氏の行動については、まったく理解できていません

私個人は、中川智正氏が「法皇内庁長官」という立場であったことは当時から知っていました。
(フライデーかなんかでオウム特集号があってその表をみながら報道を見ていました)

しかし、当初オウム真理教関連裁判で目立った被告といえば、教祖を除けば
林郁夫受刑者と、故井上嘉浩さんだと思います。

中川智正氏については、「なんとなく」逮捕されたんだろうぐらいにしか知らなかったです。
むしろ、確定死刑囚として金正男殺害事件のことで意見を述べた人というので思い出した部分が
あります。

中川智正氏が裁判で目立たなかったのは、
マスメディアのオウム報道が少なくなってから語りだしたということがあります。
当初は黙秘をしていたのが、
2001年ぐらいからようやく口を開くようになったけれど
裁判所全体がその内容を全く理解できないということが多かったらしいとしか
言いようがないとのことです。

以下、藤田庄一氏「ルポ 彼はなぜ凶悪犯罪を実行したのか
 ーーーオウム真理教・中川智正被告裁判」(『世界』2004.4)

藤田庄一氏『宗教事件の裏側ー精神を呪縛される人々』2008を参考に、概略を説明したいと思います。


中川智正氏の幼少期からの友人の話、および最後の中川智正氏のぼやきは、こちら


中川智正氏はなぜオウム真理教に入り、凶悪犯罪に手を染めたのか?
藤田庄一氏は、2002年になって基本的に氷解したと言われています。
「巫病(ふびょう)」
私はそう言われても、まったく理解できなかったです。
過労から精神疾患かとは思っていましたが、それよりも重いものらしいです。

中川智正氏の供述内容というのが、入信前後の神秘体験になると
普通の弁護士、検察、法廷傍聴人すべてが理解できないという事態となってしまったようです。

「神に従わない限り、心身の異常が持続する。通常の生活が送れない。精神病とは
診断されにくい現象」とのことらしいです。

供述には、医師国家試験受験頃にオウム真理教の演奏会に行ったあとの
パニック状態が数日続いたとのこと。

「夕刻、黙想中に尾骶骨付近が白く光り始め、光が胸のあたりまで昇ってきた。
光はそこで急激に明るくなり、見るに耐えず目を開けると、真っ白い光は胸付近にあった。
すると昇ってこいと、心臓から男の声がし、光が上昇した。
目のあたりに近づくと、またあの声がした。
「お前はこのために生まれてきた」
なぜこんなことが自分の身におこるのか。茫然とするばかりであった。
オウム真理教には関係がある。しかし入信する気がない。
「パニックでした」

医師国家試験に受かり、医師となろうとしている中川智正氏は、
自分でもどうにかしたくて、光や過去世が見えたり、声が聞こえたりするのは
側頭てんかんや側頭に腫瘍が生じた場合だった、そういう病気と思いたかった。
そんな時に、先輩の脳神経外科医に診てもらったが「異常なし」。
脳腫瘍では手術でなおるが、不治の精神病であれば自分の人生どうなるのか。

中川智正氏は、家族や友人に自分の神秘経験を懸命に話した。
家族とは、双方怒鳴りあい、泣きながら混乱するばかり。
まったく自分の辛さをわかってくれない。
お母様は「気が違ってしまったのか。なにもかもがおかしい。
元の息子ではなくなった気がした」とのこと。
ご両親とは、普通に話す間柄だからこそ真剣に話しているのだけど
神秘体験を話しても理解されない・・・。
本人も辛いだろうけど、お母様としても何をどうしたらいいのか
まったくわからない状態だったらしいです。

幼稚園から中学校まで一緒の親友に、神秘体験や空中浮揚までしてみせた
ことがありました。
親友は、
ただの床はね状態にしか見えないですが、本人が
超真面目にやっているので、その姿が怖かった。
『もうわかったからやめてくれ!』
彼の肩を押さえて床に押し付けた行動にでました

もう半狂乱・・・半狂乱とは言いませんけど、半分泣いたような状態で
ここまで追い込まれているんだというのを全身から臭わせていました。
その姿を含めて、何とかならんもんかと。

ケツ(中川智正氏のあだな。丸っこい体つき、お尻の様子からそう呼んでいたらしい
→本人はそれで返事しているので嫌ではなかったらしい)には、アドバイスしたものの
彼は医者ですので
そんなことすべて調べた。でも原因がわからんのだ」と言われてしまいました。

こうして家族も親友も止められず、彼女もまたオウム真理教側から
「中川がぐずぐずしているから出家して」と言われてしまい
中川さんとともに病院を辞め(彼女は看護師)、出家してしまいました。

(彼女が出家したときのことが記されたブログ→http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-56.html )
こちらは、彼女が出家したときのことが書かれていますが、中川智正本人よりも悲壮感がありません。
おそらくですが、彼女も交際中の中川智正氏が半狂乱状態で親や親友相手にバトルをしていたとは
知らないで出家してしまったように思えます。

ちなみに中川智正氏の最初の弁護人はお父様が金銭的に工面して資金を出して雇いましたが、
同じく逮捕された彼女の事件までも担当したようです。
費用は中川家持ち。
彼女は無事に釈放されて今は一般人として生活していることに
中川智正氏は涙を流したそうです。

話を中川智正に戻して・・・。
研修医になりたてで、たくさん勉強をしなければならないときに
仕事も勉強もおろそかになってしまいました。
そんな困憊状態の中川智正が回復できる唯一の場所がオウム真理教でした。

中川智正は麻原のシャクティーパット(手かざしのような)を受けると病院で悪くなった体調が
スーーーと抜けていく感覚があったとのことです。
それでいよいよ麻原を畏怖するようになりました。

自分は医師として患者に触れるだけでこんなに苦しい思いをしているのに、
麻原氏は信徒100人にいっぺんにエネルギーを注入できる。
このメカニズムや精神力はどういうものだのか。

突然に大氷山がそびえているのに出くわした気持ちだったとのこと。
一方で研修医としての中川智正は、身体が動かなくなり、消えてなくなりたい気持ちだった。
病院勤務どころか、医者を続けることも無理、もはや出家しかないと思い詰めました。
そんなときに、ついに手術中に棒が倒れるように転倒してしまいました。
上司の医師は、数日休むよう指示。精神科医を紹介してもくれたけど、
いざ中川智正が精神科医を前に体験を伝えようとすると、またもパニックが襲ってくる。
勤務を続けることは絶望的でした。

「結局私は、入信から出家までの一年半、もがいてももがいても現実生活を抱きしめてつかまっていた。
それを引きはがすように、何をしようと自分の内的体験が続き身体・精神的に影響が続き、抵抗できなくなった」
これは証言時(2002年1月15日)の見解と断りながらそう証言台で供述し、
ハァーと大きなため息をつきました

他の信徒が、解脱や悟りを目指して出家したのに比べ、中川智正の場合は、絶望感からの出家というものでした。
その後二か月して、「坂本堤一家弁護士殺害事件」に加わり殺人犯となります。
そのことについて

「たくさん理由はある。やっぱり麻原氏に言われたから。当時麻原氏の前世からの弟子とわかり
いう事を全部聞かなきゃいけないと思っていた。非常に勢いというか、麻原の言葉が心の中にすごく重く響いた。
言われると否定できない。

なお、この時の中川は、プルシャを現場に落としてしまい、村井秀夫によって
「ポアの間」に二週間入れられた。
そのポアの間に入っている時、麻原が入ってきて
「(プルシャは)いいよ、気にするな、中川君も緊張していたんだろ」と言われて
泣き崩れてしまった。
なお、2002年の段階で中川智正氏は「麻原の精神操作の一環」と見ている。
このポアの間の体験により、麻原への霊的隷属は無限の深みにはまっていきました。
世間にはわかりやすい「殺人をしてしまったから抜けられない」のではなく、
殺人をするほど自分は麻原氏の世界にはまり込んでしまった」と自己分析。

光っている麻原を見、そばにいると喜びが湧いてくる霊的隷属の中で中川は次々と犯罪を重ね、
麻原の指示があれば、そのとたんに抵抗感があったにしても消えた。
麻原の身体、手足となって動いてしまい判断力も倫理観も失っていきました。
これを中川は「無力感、他動感」と表現しています。

裁判中に
あったまま、お話します
理解していただけないと思いますが」と何度も口にしていました。

前回エントリーで、滝本太郎弁護士のHPから拾った林泰男死刑囚のエピソードで
中川智正が「これ以上悪業を積みたくない」と逮捕前に泣いたのがありました。

私はこれを誤って解釈していました。

私は、中川智正が泣き崩れ、もうどうでもいいと放心状態で杉並付近をふらついて逮捕されたのだ
と思い、林泰男からみれば、中川智正の弱気と見ていたのではという見方でした。
そうではありません。

むしろ中川智正のもつ狂気の部分だったのです。

中川智正が泣いて「悪業を積みたくない」と震えて怯えたあと、
平田悟元信者が中川に対し「尊師を意識して!」と元気づけるや
彼は突然、「これから頑張る」と元気になったとか。
その急変さが尋常ではなく
恐ろしい感じがした。豹変ぶりは。
一瞬のうちに別の人格に変わってしまったようでした。
これまで長く話して心を見せあっていたのに
中川さんの中に麻原が、怪物か魔物のように取り憑いているのをみて怖い感じがしました。
」と

林泰男死刑囚は、そんな中川を見たのはこの時が初めてだったのですが、
「法皇内庁」内での中川の部下女性信者は
麻原と中川がダブって、どこからどこまでが中川さんなのかわからず不気味でした」と。
もう一人の部下は中川裁判にて、中川の強い印象として
「彼に他人の状態が移ってよく体調を崩してました」
「顔がむくみ、鼻をグズグズさせ、顔色がわるい」
それでも麻原と会い、部屋からでてくると回復して調子が良くなっていることが
何回もありました、と答えています。

裁判においてこの神秘体験はどう対処されたのでしょうか。
嘘・不合理に満ちている」と一刀両断に切って捨てました。
まことに都合のよいエピソード」で「珍妙な主張」で責任を回避しようとしている、と。
地下鉄サリン事件に至っては、「麻原の側近中の側近として地位を確立するための打算と推認し
身勝手極まりないもので言語道断」と死刑を求刑しました。

ああ、またまた長くなってしまいました。
佐々木雄司先生との出会いも書きたかったけれど、これもまたエントリーを改めたほうがいいかもしれません。

最後に2011年頃の中川智正氏が、NHKディレクターに話した「ぼやき」を紹介します。

すべてを裁判で解明するのは無理ですよ。システム的に。あそこでは麻原氏は犯罪者でしかない。
極めて優秀な面があったことは問題にされない。そういうといまだに帰依しているということになる。
ああいう人物が出た時にどう対処したらいいのか、わかっていない。
結局自分がバカでしたとしか言えない。それでは話にならない


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