松本で「魔法使いをまく」と指示を受けた(松本サリン事件)


中川智正被告が、初めて麻原公判で松本サリン事件の指示者が
教祖と村井秀夫幹部であったことを語ったのは、
第179回公判(2000年12月21日)でした。

1994年6月20日頃、第6サティアンの「尊師の部屋」で話し合いがあり、
その場いたのは教祖のほか、村井秀夫、新実智光、遠藤誠一・中川智正被告でした。

中川被告は、
「麻原氏から話がありました。松本で『魔法使いをまく』という趣旨です。
教団内で製造したサリンのことです。」
さらに
「村井さんが、『裁判所に昼間(サリンを)まく』といいました」
検察官は、謀議の内容を丹念にたずねていく・・・。

※結局この時裁判所に昼間撒く予定が、時間にルーズな村井秀夫のために
夕方にずれ込み、宿舎近くに撒くこととなった。
村井秀夫の時間のルーズさは「マンジュシュリー(村井のホーリーネーム)タイム」
と言われるほどだったと

松本被告(麻原彰晃)は、噴霧車を使ってサリンをまくことを認識していたか
それは、もちろんです
中川被告は証言台に乗せた手に力を込めて、はっきりと答えました

出典:毎日新聞社会部『名称変更で存続を図る―オウム「教祖」法廷全記録6

毎日新聞の法廷絵師さんは細かいところまで書いているなと思いました。
本当はこのシーンではないのですが。

私は読売新聞の絵師の書いたのは下手だと思いました。
中川智正さんが靴ではなくビーチサンダル?のようなものを
履いているような描き方をしていたのです。
それはないだろうと思いました。

なお、このころの中川さんは、かなり毎日のように裁判に出ていたため
かなり精神的にも疲労困憊状態だったのではと思います。
それでも裁判を休むことはなく出てきていました。
なぜ疲労困憊か。
それは、一番最後の記述を読んで、「お察しください」
きっと、この部分を正確にテレビ放送は出来ないでしょう。
では裁判に戻ります。

松本サリン事件については、麻原公判第184回でも
(2001年2月9日)
中川被告は弁護側証人として出廷しています。
この時にも再度、中川被告からみてサリンの効果がどうなのかを
麻原弁護人から質問されています。
「松本サリン事件の時もサリンの効果が弱いのが前提だったのか」と。

中川「そうです。
   滝本太郎弁護士サリン襲撃事件でも効かなかったのは皆知っていた。
   新実(智光)さんは分かっていなかったかもしれないが」

6月20日頃の「尊師の部屋」での謀議では何のために招集をかけられたのかと問われ、
中川「よく分からない」
弁護人「目的もなく、たまたま集まって、松本でサリンをまくことになったのか」
中川「わかりませんね」

その後、中川被告が準備したサリンの解毒剤の形状や商品名について弁護人が細かく質問すると、
阿部文洋裁判長が、
「これ以上細かいことを聞かなくていいでしょう」と諭し、
弁護人が「成分が表示されていないものがあるのではと言っている」と声を荒げると
阿部文洋裁判長は、「だからどうだっていうの?」と苦笑する場面もありました。

麻原公判第186回(2001年2月9日)においても弁護側証人出廷した中川被告に対して

弁護人「サリンの毒性について、村井さんは何か話していましたか」
中川「何も言っていません」

弁護人「池田大作(創価学会名誉会長)襲撃事件では1回目が600グラム、2回目が3キロ。
どうして、松本サリン事件では20リットルなんですかね」
中川「明確なことはいえないが、サリンの拡散を考えたら、これでも少ないかなと思いました。
屋外で拡散した場合ですが」

中川被告は腰に手を当てて宙をにらみ、記憶を一つ一つ思い起こしながら話し続ける。

弁護人「中川さんやってくれと、村井さんは話したの」
中川「あんたがやるんだ、という感じで選択の余地はなかった
弁護人「実行の指令は」
中川「94年6月26日に、自分の部屋に村井さんが来て、一言『実行する』と。
場所も聞いていません。明日やる・・・という感じで


弁護人「遠藤誠一さんとレンタカーを借りに行きましたよね。下見もしたでしょう」
中川「警察署や裁判所を見ました。ぐるっと回った感じで、
   お城は国宝だと分かりましたね」

弁護人「検察の調書に注入作業中に関して
   『サリン中毒になるのではと気が狂いそうになった』とある」
中川「クシティガルバ(土谷)棟の中で注入作業をしたが、
   狭くて背中を曲げての作業だったので、なんでこんなことをしなければならないのか、
   作業が嫌になったので狂いそうに思った」

弁護人「『狂いそう』の意味が違うのか」
中川「慎重にやったが、死ぬとは思っていなかった。
   検事が補足して、そう書いたが、訂正を申し入れることはしなかった」

弁護人「警察調書ではサリンの『致死性」に言及していない。検察調書では『非常に危険なガスで死ぬ』となっているが」
中川「検察段階で否定したが、検事は書いてくれなかった」
(中略)
弁護人「自分に不利にならないか」
中川「自分のことはあまり考えていなかった」

弁護人「あなたの『自分の死』にかかわる心理について聞きたい」
中川「サリンの致死性で私の刑が決まるとは思っていない。
これだけの事件を起こしたのだから、自分は長生きしようとは思わない
分かって頂けるでしょうね。生死にこだわっていない」

当時は、中川智正さんとしては「サリンの毒性は弱い」と認識していたのに
その調書は、
専門知識もない検察官が、死傷者が多数出たことからのイメージから作成し
サリンを吸えば死ぬという前提で作ったもので
自分は検察官から調書の作成を急いでいるから迎合しただけ
」とのことでした。

さらに「サリンをまけば周辺住民が大勢死亡することは十分に分かっていた」という供述についても
「全く自分としては言っていないけど、検事が書いた」とし、
教祖の指示であることだけは確かだと答えるのみでした。

松本にサリンをまいたあとのことを質問された際(麻原第189回公判)
弁護人「噴霧が終わり、帰る途中で会話は」
中川「全然ない。僕は噴霧車がついてきているか見てたけど、途中で眠ったり起きたりしていた。」

弁護人「重大な犯罪を終えたという緊迫感は」
中川「あんなことになるとは思っていなかった。他の人はほとんど寝ていました」

弁護人「予防薬、防護服を準備し、噴霧車の消毒をしている。しかしあなたは十分危険だ、とまでは
考えなかったという。そこが非常に分かりにくい。
事件の目的について『尊師の宗教的思い付きとしかいいようがない』と答えているが
漠然としている。
中川:「理詰めだけでいうと、『殺そうと思っていた』と思われてもしょうがない。
警察はそういう立場で調書つくるんですよね。僕も立場を変えてみると、あいつら何なんだという理屈も分かる
ただ、私たちの認識は事前にああでもない、こうでもないということがあって、それで事件になった。
理屈を超えた心理的な問題などがあると思う

さらに麻原第199回公判(2001年6月21日)には

弁護人「松本サリンの調書では『サリン中毒になりはしないかと怖くて気が狂いそうになった』とある。
気が狂うというのは強い表現だが、当時の状況と結びつかないのでは」
中川「結びついた。事件は1994年6月27日ですよね。家族の誕生日と近いので。
29日は私の故郷の岡山が空襲にあった日。
毎年この時期は同じことを考える。
自分は噴霧車に乗ってマスクをつけてサリンを注入して、
何をしているんだろうと、思ったんです。分かりますか?


弁護人「毒性が怖くて気が狂うということではないのか。」
中川「そうではない。気が狂うという表現はしたが、検事はそれが怖かったからと
受け止めたのだろう」

弁護人「どうして検事に正直に言わなかったのか」
中川「関係のある人の話をしたくなかった。
   もうひとつ、その時のことだが、サリンが光ってみえた。きらきらと

ここで、中川智正さん自身が、初めて松本サリン事件中に自分の中でサリンが光って見えたことを証言しました。
自分の裁判よりも、教祖の裁判で弁護側証人として出廷した時に語ったのが初めてでした。

中川智正さん自身の第97回裁判(2002年9月12日)ではかなり詳細に表現しています。
こちらの記述は
降幡賢一『オウム法廷13 極刑』(朝日文庫 2004)

「それほど注入は困難でないと思っていました。ところがバランスが悪くて、作業が進まない。
 村井さんは噴霧車を、注入の手間とか、何も考えずに作ったんだなとか、
 クシティガルバ(土谷)棟でサリンを詰めろと言われたのも、それを全く考えていないとか
 そういうことを考えていると腹が立ってきた。
 今度はイライラしてきて、丁寧に作業をやっているが全然進まない。
 叫んで、じゃまくさいと言って止めたくなるような感じ。
 何で自分がこんな作業をしなくてはいけないのか。
 私の苦労を村井さんはわかっているのかと。
 狭いプレハブの天井とトラックに張り付いてサリンを入れている。
 自分はいったい何をしているのか、という感じです。」

 そのころ毒ガスを撒くが、知人や家族の誕生日があって、
 あの人どうしているのかなという考えが出てくる一方で
 自分は何でこんな作業をしているんだと思った。
 で・・・まあ、あったことをお話しますが、・・・光が降ってきた。上から
 天井の方から光が降ってくるということがあって・・・。
・・・・あったことをそのままいうが、
注入しているサリンがピカピカ光って見えて、ものすごくきれいに見えた
 スーパーサリンでサリンを移すときに、
 一つは噴霧車の上でメスシリンダーを引っ張っているとき
 自分がその中に吸い込まれていくようでした。

 麻原氏が修法したお供物が光って見えたと話したが、そんなふうに見えた。

 先ほどの、自分はなんでこんなことをという意識があるが、
 一方で光って見えて、これはすごいという意識があって・・・
 狂気の世界だなと思いました

 作業は何でという意識でやっている一方、光で、これは何なんだろうと、
 それは突っ込んでいきたいような感覚でした
 それは麻原氏が起こしているんだと思っていました

・・・ここまで書いてみて、私には分かりませんでした。
実際きちんと毎日新聞社会部や朝日新聞の書物などに当ってみてほしいところです。

新聞記事では扱いは小さめでした。
さらに中川智正さん自身も、裁判以外の場では語ろうとはしない部分でもありました。

精神科の聞きかじりでは、
おそらく、自分の中では受け止めきれない何かに直面した時に
光が出てくることで自分の心を遮断する。分離する。
こういうのが「解離性××」といわれるのか、という風に私は理解しました。

参考:東京都立松沢病院

解離性障害については、病院で診断されてもさらに慎重になるしかない
まだ精神科的にも解明が追い付いてない部分になると思います。
(私の見た限りですが、「解離性障害」と診断を受けた人のご家族に話を聴いたとき
病院ではそういいますが、別の病院ではそこまで言われていないので
簡単にはそうとは言い切れないと明言はしていませんでした。
病院、医師によって診断基準がまちまちで、さらに
精神科医と患者の関係にもよる部分が多い部分だからでしょう。

松沢病院はその点では進んでいるのかもしれません。

テレビではオウム真理教関連番組制作する際に、
こういうことまでは視聴者には考えさせないのだろうと思います。
クレームが怖いからか。

なので、テレビや通り一遍の本だけでは満足できなければ
毎日新聞社会部か、朝日新聞の書物に当たるのが、
今のところ一番詳細な情報に接することになると思います。
裁判記録は公開される見通しもないですし。


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