武藤章中将は「傲慢不遜」だったのか?


武藤章中将は、どうも「傲慢不遜」な人物だととらえられがちです。

武藤章中将とゾウさん

〇日中戦争の不拡大を主張する石原莞爾作戦部長に対し、課長(大佐)の身分で
ありながら、堂々と反対し上司を孤立させた。
〇大東亜戦争前後、東條英機首相兼陸相の腹心であった。
〇大東亜戦争開始後、インドネシアの視察に行った時に、
第16軍司令官今村均中将に対し、「やり方が生ぬるい」と伝えたこと

などなど

おそらく、今村均さんの『回顧録』の一部分でそのように捉えられ、
さらにもともと直接的なものの言い方をするということを自分でも認めているところから
そのようなイメージが定着していたのではないでしょうか?

今村均さんの回顧録とはこちら

実際はどのような方だったのか?
武藤章さんが、近衛師団長(昭和17年4月~)から第14方面軍参謀長(昭和19年10月~)まで
側に副官として仕えた稲垣忠弘中尉が書き残している文章から見ていきたいと思います。

出典:稲垣忠弘「武藤中将、副官の思い出」(『巨杉会会報』第7号 昭和62年8月)

稲垣副官は、武藤さんが近衛師団長として赴任するに伴い、
なぜか突然抜擢をうけて師団長副官となったとか。
その際に、小畑信良・近衛師団参謀長にこういわれたとか。

「キミが武藤中将の副官になるにあたって、一言注意をしておく。
武藤中将は、陸軍にとってかけがえのない貴重な人だ。
どんな戦況になっても、絶対に死なせてはならん。
覚悟してお仕えしてくれ。

それからもう一つ、君は叱られ役ということを肝に銘じておけ。
武藤閣下は陸軍きっての秀才であると同時にうるさ型だ
閣下の御小言の防波堤になって、適宜に参謀部に連絡してくれると
参謀たちが助かるからなあ、ハッハッハ、しっかりやってくれたまえ」

稲垣さんは、予備役の将校だったので、なぜ自分が抜擢されたのか
よくわからず、やはり武藤さんという方に慣れるまで
時間がかかったそうです。

そんなある日、スマトラにいる武藤さんのもとに、今村第16軍の参謀から
連絡があり、近く武藤師団長が今村軍司令官に会うということとなりました。
これは、武藤さんが軍務局長時代、「ジャワの軍政は生ぬるい」と今村軍司令官に伝えた
ことで激論となって以来のことでした。
この部分が、映画『ムルデカ17805』でも描かれていたのを覚えています。
武藤章さん役が、夏八木勲さんでした。

武藤さんは、師団長となってからいろいろ第一線を視察した結果、
今村さんのやり方が正しかったことを認め、いつか謝りたかったということで、
この今村軍司令官との再会を楽しみにしていたそうです。

私は間違っていた。現地の状態を本当に把握できていなかった。
今村中将にお会いできる日が楽しみだ
」とも稲垣副官に話していました。

今村中将に会見し、軍務局長時代の件を謝ったあと、
「私も、今村閣下の軍政に負けないよう、しっかり実施します」と言いました。
そんな武藤さんの姿勢を、「素直だ」と今村均さんは回顧録に書かれていますが、
どうも見落とされているようですね。

私は武藤さんは「傲慢不遜」ではないと思っていますが・・・。


武藤章中将は「傲慢不遜」だったのか?” への2件のコメント

  1. 初めてコメントさせていただきます
    管理人さんは武藤章が好きなようですが、私はどうも好きになれません。
    日中戦争の拡大方針を唱え石原莞爾と対立したことは有名ですが、その後長期化する戦争を目の当たりにして後悔するかのような発言をしてますよね。
    これは本エントリーの今村均とのエピソードど似ていて、
    自分の非を認められる人格者といえば聞こえはいいですが、自分の判断で多くの部下を死に至らしめる立場にいる人間としては軽薄過ぎる印象を持ちます。
    また戦後オランダとの関係が戦争犯罪の関係で悪化したことを考えれば今村の善政が続いていたらと思わざるを得ません。
    対米交渉に関しても、日中戦争時の石原のような立場に自分が置かれたとき武藤は何を思ったでしょうかね。
    私は、取り返しのつかないところまで事態が進んだ後で反省されても武藤に対する印象は良くなりませんね。

    • 下野の農民さま
      コメントありがとうございます。
      武藤章中将については、良い印象は持てないという方も多数おられるだろうと思います。
      私個人も、実は武藤章さんについては最初は好きな人ではありませんでした。
      気が強そうだし、成績優等で挫折しらずで・・・と。

      でも、いろんな本を自分なりに読んでいって、いつしか尊敬できる人になりました。
      何でか?と言われてもうまくいえないのですが・・・。

      武藤さんは、対米交渉時は軍務局長という立場で、心の底には石原さんの方針が正しかったのだという
      思いを持ちながら、何とか陸軍省の部下を抑えつつ、参謀本部からの誹謗中傷に耐え
      ホンネがわからない海軍との折衝など、大臣を輔佐するという点において努力していたのだと思います。

      参謀本部にいると、どうも作戦することばかりに目がいってしまうことがあるようで
      それを陸軍省や教育総監部などが制御するようにしていたのですが
      結果として、対支一撃論者であり声の大きかった(第三課長という立場もあったと思います)
      武藤を中心とした意見が通ってしまったことは、日本にとっても不幸だったと思います。
      おそらく北支那方面軍参謀副長時代に現実をみて、武藤こそが一番苦しんでいたのではないかと
      どうしてもひいきにみてしまうのです。
      何だかコメントに正確に返答できなくて申し訳ないです・・・。

      取り返しがつかないところまで事態が進んでいたところで職責を果たさないといけない
      立場にあったなら、下野の農民さまなら、どのように処置なさいますか?

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