撮影成功ヽ(○`∀´)bィェィ成功♪d(`∀´●)ノ


やっと撮影成功しました。

御霊神社と江ノ電

ここは、鎌倉坂ノ下にある御霊神社です。
江ノ電だと、長谷駅が近いです。
でも、長谷駅といったら、鎌倉大仏の最寄駅。
こちらに行ってしまうひとのほうが多いと思います。

私は以前から、大仏よりも、こちらの神社に注目してました。
それは、鳥居のすぐ近くに江ノ電が通過していく様子を
何とか写真に残したいと思ったからです。
江ノ電に乗っていて、もしこの神社の手前で電車が緊急停止したとしたら
すぐにお詣りできそうな感じです。

今まで2回チャレンジしましたが、いずれも電車が通過してからなど
シャッターチャンスを逃すことが多く、
江ノ電そのものが10分に一回しか通過しないので、
あまりこの写真にばかり捉われていては他の場所を観光できないので
地元民ではない私はあきらめてました。

でも今回は無事、成功しました!
やったーーーー(●≧∀≦)ノ成功したョォ.+゚*。:゚+

新しい年は良い年になりますように。

ちなみにこちらの御霊神社(権五郎神社ともいいます)、
後三年の役の際に、源義家に従って戦った
鎌倉権五郎景政をお祀りしてます。
鎌倉周辺には、なぜか御霊神社というのがいくつもあるのですが・・・。
この鎌倉権五郎景政という人は、武人でもあり
さらに、大庭御厨(おおばのみくりや)
の開発領主(かいほつりょうしゅ、とよみます)でもありました。
御厨というのは、伊勢神宮に寄進された荘園のことです。
さらに、「大庭」という地名は、現在も神奈川県藤沢市に現存しています。

武士たちは、自ら開発した土地を守るため、それはそれは苦労をしていました。
所領争いに明け暮れる毎日でした。
その苦肉の策として、天皇家や、伊勢神宮などの権力者に寄進し、自分たちは実質上の土地所有者となっていました。

鎌倉権五郎景政という人は、できれば自力で土地を守れればそれに越したことはなかったのではないでしょうか。
でも、隣近所の武力抗争の中で生まれて、武人となった彼は、土地を守る手段として
後三年の役に従軍したのではなかったでしょうか。
鎌倉権五郎景政は、この戦の中で、目を射られてしまいます。
それでも奮闘したという言い伝えがあります。

ということは、この御霊神社、眼病にきくのではないでしょうか?
また、視力がよくなりたい人にとっては効験があるらしいとは
江戸時代から言われています。

それにしても、なぜ鎌倉権五郎景政をまつった神社を「御霊神社」というのでしょうか?
よくわかりません。
この鎌倉氏という一族は、結局鎌倉全体の支配者になれなかったからではないか?
その後も大庭御厨をめぐって源義朝(頼朝の父)がねらっていたり、
さらに鎌倉氏一族も、平安末期から鎌倉時代初期にかけて、数々の関東武士による騒乱に
まきこまれて分裂していったという隠れた悲劇があるように思います。

社殿は、明治時代に再建されたとのことですが、実に立派なものです。
坂ノ下の住人が、先祖代々この神社を大切にしてきたことが
本当によくわかる神社でした。
なお、この神社内には、日清・日露戦役で命を落とされた23柱がお祀りされています。

御霊神社本殿


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