『世紀の遺書』とはどのような書物か


この書物を一言で言い表すのは難しいです。

敢えていうならば・・・

「昭和受難者の方々が、孤独で理不尽で強制された死に直面したときに
何を思い、何を伝えようとしたのか?ということを読み手側が、頁を繰るごとに
深く考えさせられる書物。

約700篇ほどの遺書遺稿がひたすら活字として続いているのみだが
ここには、よけいな現代人の意図が入る余地もないほど整然としていて
読むたびに、人間について真摯に学ぶことができる書物」

原本はこんな感じでした。

世紀の遺書(原本)

粗末な紙きれに、辛うじて読み取れるような文字。
薄汚れたシャツに血でしたためられた文字
牢獄の中で誰かの好意で差し入れられた紙に、自分の処刑原因となった
事件の詳細をありったけの気力をふりしぼって書かれたもの。

どの遺書からも何か、文字の力、言葉の力がこれでもかというほど
つたわってきます。
この書物に出会うまでは、歴史の書物でこれほどまで
文字や言葉の力を感じたことはありませんでした。

それほど私にとっては衝撃的な出会いとなった書物なのです。

薄汚れたシャツや、判読できないような文字を解読していった方々、
それらの方々は、敢えて名前を出していないとのことです。

「数えきれないほどの人」が、無償で、時間をかけて
自分の思いで解読したくなる気持ちを抑えて、目に見えない「何か」に
向かって解読していったとのことです。
読み手には不思議と、解読者がどんな苦労をされたのか?というのは
上に掲げたシャツや古い紙などを見るまではあまりわからないように
なっています。

人間は、どうしても自分の思いをまずアピールしてしまう弱さがあります。
でもこの書物の解読者は、その困難と闘っていたはずが、その苦悩が
まったく見られない。
これだけでもすごいことだと思います。

次回エントリーは、巣鴨拘置所の教誨師を務められた
田嶋隆純師の「序文」をそのまま紹介したいと思います。


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