武藤章中将といえば、特に陸軍省軍務局長時代の活躍で
戦前も、戦後もかれこれと批判されていた方だと思います。
そのような武藤章中将は、政党にどのようなことを期待していたのでしょうか?
以前のブログ記事にも少しだけ書きましたが
立憲民政党のような、わりと大きい野党は、政府や軍部の反対政党として
しっかりしてもらいたいという考えを持っていました。
最後まで、近衛文麿さんが党首である新党結成の望みを持ち続けました。
「一国一党というものは、政党がないのと同じであって、必ず腐敗堕落するとの
見解をもっていました。」とは東京裁判の時の武藤さんの証言です。
さらに、ナチスのような内部裁判機構をもつ一国一党制を支持したこともありません。
それでもなぜか、戦後になると、かつて武藤さんが軍務局長時代にヨイショし、
彼の言動を利用していた政治屋さんほど、「武藤は陸軍部内で強力な発言力を持っていた。
ナチスドイツを熱烈に支持していた。その証拠に当時のドイツからも勲章を授与されている」とまで
言う人も。
結果として責任を取らなかったひとほど、死人に口なしをいい事に
無責任なことをいうのだなあと改めて感じさせられました。
日本がいろいろな面で危機的な状況であるからこそ、実は今こそ、武藤章軍務局長の当時の考え方を
見直してみることも必要ではないでしょうか。
話が変わりまして
下に掲載した史料は、武藤章中将が、東京裁判中、自分の弁護人コール氏に宛てた依頼状です。
国立国会図書館憲政資料室で見つけました。
初めて見たとき、武藤さんて何と美しい文字を書かれるのだろう!と
思ってしまいました。