石崎芳行氏の人物像


文春砲による石崎芳行氏評

写真:「福島復興本社設立所信表明時の石崎芳行氏」ニコニコ動画のスクショ
石崎芳行氏

 「震災直後から、原子力・立地副本部長として避難所を回り、
『我々が出来ることはなんでもやります』と謝罪を続けていた、
朴訥で生真面目を絵にかいたような人です。

家族を東京に残し、単身赴任で福島の社宅に住んでいます。
17年6月に福島復興本社代表を退任し、福島担当特別顧問に就任する際の会見では
『生涯をかけて福島のためにしっかり力を尽くす』と語っていました。(地元記者)」

私はこのような石崎芳行氏とYoutube動画上で初めて出会ったのがこの動画でした。



2011(平成23)年5月4日。あだたらに避難されている浪江町の被災者に対して
清水正孝社長の隣で、体調不良が続いていた社長に代わって合図を出しながら
土下座して謝罪している姿でした。
この動画を観ると、謝罪に慣れていない清水社長のうつろな表情。
石崎芳行氏と最初に罵声を浴びる大役を務められた方(この方も調べると、現在東電役員になられている)
が東電側として仕切っていることがわかります。
日本経済新聞のこの記事

一番左側に、当時原子力定例会見でも司会をしていた東電本店広報課長「デニーロ」氏もいるのがわかります。

事務系出身の福島第二原子力発電所長

石崎芳行氏の経歴をまとめてみました。

石崎芳行氏の経歴を以下の通りまとめてみました。

法学部を卒業されて事務系社員として入社され、営業部長や、広報部長などを歴任し、電気事業者連合会や動力炉・核燃料開発事業団にも出向された経験もあります。
各部署や出向先での人間関係を築かれた上で、畑違いの「福島第二原子力発電所長」に就任されます。
東京電力における原子力部門というのは、あまり他部署との人事交流もないところらしいです。
例えば、蓮池透氏(東京電力原子力部門。入社は石崎氏と同時期)によると
「他部門とはほとんど交流がない」ところで、原子力部門から他の部門に行くことが
少ないらしいです。
そして、福島の原子力発電所近くは、「町の中に東電がいる」のではなく
「東電の中に町がある」とのことです。
もともと寂しい街で、原発が出来てから国からの交付金や固定資産税が入り、ハコモノが次々と立てられたとか、
発電所関連への地元雇用で勤務している人とその家族が生活をしているという感じだったようです。
そして東電社員が街に溶け込んでいたというのはなかったらしいです。
なお、蓮池透氏は、本店勤務が長く、高速増殖炉の研究に携わったことがきっかけで、
「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と確信を持たれたようです。


原子力部門から他部門への異動が珍しいことは、
@onodekita 氏が先輩でもある姉川尚史氏が原子力部門から電気自動車開発部門へと
希望をだして異動された逸話からもわかります。
電気自動車から、柏崎稼働に走る姉川尚史常務の思い出

「石油エネルギーに頼り切っているクルマ社会を変えなくては」

 東京電力で原子力発電所を担当する技術者だった姉川尚史(たかふみ)さん(50)が、
電気自動車(EV)の開発を進めたいと会社に申し出たのは2002年のことだった。
 電力会社の花形部門から、海の物とも山の物とも分からない新分野への異動希望に上司らは驚がくした。
 電池でモーターを回すEVは、排ガスが出ず、環境に優しい乗り物として、
18世紀から始まる自動車開発史の中で常に注目され続けてきた。
が、航続距離の短さなどで普及せず、ガソリン車の後塵(こうじん)を拝してきた。

 当時は、充電に8時間もかかって航続距離は100キロ程度、価格は何百万円……。
「EVの普及は難しい」。
社内でもその見方が大勢を占める中、
姉川さんは、「地球温暖化が進む、これからの社会には絶対に必要なもの。だからこそ自分にやらせてほしい」
と粘り強く説得を続けた。

 姉川さんは大学院で原子力工学を学び、同社の発電電力量の38%を占める原発事業に約20年間、携わった。
発電の世界では、早くから石油だけでなく、原子力、天然ガス、水力と特定の電源に偏らない分散化が進められてきた。

 生活者の足であるクルマはそうではなかった。

 姉川さんの熱意に会社も重い腰を上げた。「やる以上は退路を断ってやれ」。そう送り出された。」

石崎氏の場合は、動燃出向の経歴を買われたのか、事務系出身なのに原子力部門、しかも発電所長抜擢に
かなり苦労されたらしいです。
弘兼憲史氏のインタビューでは次のように答えられています。

http://news.livedoor.com/article/detail/11648787/

【弘兼】聞きづらい質問になりますが、東電には隠蔽体質というものがある。
特にそれはいわゆる原発を扱う「原子力屋」に顕著のような気がします。
中にいる石崎さんはそのことをどうお考えですか?
【石崎】私は原子力部門、その体質に対してものすごく批判的でした。
動燃(※)が「もんじゅ」で事故、東海村でアスファルト火災事故を起こしたことがありました。
私は動燃に出向して、動燃改革に関わりました。
そして、原子力ムラの常識に唖然としました。彼らはとにかく優秀です。超優秀です。
しかし、社会常識がない。
「俺たちは30年間これでやってきた。お前みたいな事務屋に何がわかるんだ」という態度でした。
【弘兼】そんな「身内意識」が強い中に飛び込んで、どうしたのですか?
【石崎】当時は事故隠しなどで、「嘘つき動燃」などと呼ばれていました。
このままでは組織として持ちませんよ。社会から認められなければ、
どんなに凄いことをやっても駄目ですというのを、1人ひとりに会って懇々と話し合いました。

※動燃……動力炉・核燃料開発事業団。高速増殖炉、新型転換炉の開発を専門とする事業団だった。

最初は元々原子力部門育ちの部下たちと関係をつくるのも大変だったのでしょうが、
増田尚宏氏と尊敬信頼関係を築き、あまり地元の住民と東電社員との関係が少ない場所においても
積極的に入っていき関係づくりを大切にされたように思えます。
増田尚宏氏との関係は、のちの福島復興本社と廃炉推進カンパニーでペアになるぐらい強い信頼関係だったようです。
私でも、自分がメンタルが強くてこの人に仕えられるような立場なら尊敬していたかもしれない、そんな人のように
見えます。

そして、最近Twitterで知ったところによると、勝俣会長主催の「御前会議」に福島第二原子力発電所長時代出席を許されていた
とのことでした。


これはすごく興味深いです。
石崎芳行氏以外、例えば福島第一原子力発電所長も「御前会議」に出席していたのか。
など人事面で興味深いです。


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