「村井さんはやくざに頼んで自殺したんじゃないか」

今もって謎が多い村井秀夫元幹部の刺殺事件。
この事件についても、中川智正さんは裁判中に証言しています。

麻原第193回公判(2001年4月20日)において、
中川智正被告は、
逮捕時の自身の様子について麻原側弁護人から尋問されました。

弁護人:「逮捕にあたっての教団の指示は?」
中川:「なかった。1990年の国土法違反の時は黙秘していたので
    黙秘はするものだと思っていた。黙秘は難しいから死んだ方がいい、ともほかの人と話したが」



弁護人:「どうして死んだ方がいいのか」
中川:「しゃべるぐらいなら。
村井さんはやくざに頼んで自殺したんじゃないかと思っていた
あの人なら、そのくらいやりかねない。ああいう風に死ぬんだったらいいなと」

弁護人:「どうしてしゃべりたくないのか」
中川:「麻原氏のことはしゃべりたくない。
逮捕されたら社会に戻るわけだが、犯罪のもとになっている内的体験とか
信仰をいっても分かってもらえないだろうと思った。」

2001年の教祖公判時に証言として「村井自殺説」を出していた中川智正さん。

その後中川智正被告自身の裁判時に、村井秀夫に関して、
被告人質問で、教団崩壊のもとを作った一人として責任を取らせられる立場だったのではと
次のように話しています。

出典:降幡賢一『オウム法廷13』



弁護人:「そのころ(逃走しながら、さらに事件を起こすことを相談していたころ
どんなことを考えていたのか。」

中川:「(教祖が)村井さんに責任を取らせようとしているのかな、ということです。
武装化でいろんな事件を起こして、教団が崩壊に瀕している。お前、何とかしろ、責任を取らせようとしているのではないかと」

弁護人:「(教祖が自分で)武装化を指示しているにもかかわらず、責任をとらせるのか」
中川:「教義でもあるが、弟子のカルマによって失敗したんだと。
やっている人が村井さんでなければ、別の人であれば成功した、ということです。」

弁護人:「何が悪いと」
中川:「心がけとか運命とかいうことになってしまいますが、
要するに関与したお前が悪い。運が悪いのもお前が悪いと。
それで村井さんが追いつめられているのかな、と。
その時でなく、しばらく暮らしているうちにそう思いました。」
(裁判長)
「それは教団内の責任は、それとも社会的、刑事的責任についてもか」
中川:「事件を起こすことについての刑事責任も含まれていたが、
    宗教的に、事件を起こして自決しろ、というようなことだと思いました。」
(弁護人に戻る)
「くどいようだが、事件を起こしたのは麻原さんの指示だが、
 窮地に陥ったのは村井さんの責任、カルマだから、それで事態を打開するのか」
中川:「打開しようのない状況だったから、打開できるようにしろ、そのくらいのことをしろ、
    と突きつけられているんじゃないかな、と思いました。」

(その後、地下鉄サリン事件後、村井元幹部が4月12日に井上嘉浩被告に、
自衛隊員の信徒を使ってクーデターを起こせと指示してきたことについての質問があり、
中川被告は「あまりにも突拍子のない話」だとし、次のように答えています)

「普通なら、四・五人でクーデターといって殴り込んだら、死んでしまうと思う。
井上君は死ね、と言っているのかと村井さんに反論したと聞いているが、
実際は井上君に死ねといっているのではなくて、
仮谷事件を実行したことを麻原氏は怒っていた
教団がこんなになってしまったのに、お前はどう責任をとるのか
その責任の取り方として、クーデターで突っ込んでいって死ねと、
そういう責任の取り方があるということで言っていたと思った。」

弁護人:「中川さん自身は、(そのころ)教団の先行きをどう思っていたか」

中川:「極めて厳しいと思った。近々潰れると思っていました。(そのことは)麻原氏もわかっているだろうと。
私は、90年のインド旅行のとき、麻原氏からいずれ教団はつぶれると言われている
私のベースはそこなんです。
武装化しても教団の天下がくるとは思っていなくて、どんどんじり貧になっていく。
時々麻原氏がそういうことを漏らしたので、そういうことだ、と思っていました。」

やっぱりあのう・・・責任を取らせるとか、要するに弟子のせいだと、
 弟子が至らないためにそうなった。運が悪いというのも至らないためだと。


弁護人:「だとしたら、結果がでないのはお前たちのせいだというのには反発の気持ちが起きなかったのか」
中川:「そこまで行くと、普通は反発するかと思うが、それはなかったです。
やはり自分たちが悪い、と思っていた。多分
(当時いっしょに行動していた)豊田(亨)君はそう思っている。
富永君はわからないが、林泰男さんはそうだったと、井上君もそういう言動があった)
※5月15日までは、井上、中川、豊田、林泰男、高橋克也は一緒に行動していた。この日井上、豊田が八王子で逮捕されている。
それからは別行動になり、中川、林、富永たちは杉並に逃亡したのか?
中川さんは17日に杉並区内で逮捕、林、富永はその後もしばらく逃亡。

教祖から「弟子の心がけが悪いから教団が崩壊するので責任を取れ」という言動を受けていたと話した後、
村井秀夫刺殺事件の所感について弁護人から問われました。

「4月23日に村井さんが殺害された。殺させたのは教団だと思ったのか」
中川:「当時の気持ちを言えば、(教団は)関係ない。
ただし、ちょっと思ったのは、村井さんであれば、自分で自分の口封じをしかねない。
俺を殺してくれと頼んで刺してもらう。そういうことでもしかねないと思いました。」

弁護人:「どうして知ったか」
中川:「刺された瞬間をテレビで見ていました。ちょっと瞑想したが、もう助からないという声が聞こえました。
その旨を井上君らに伝えた。音声だが、他の人には聞こえなかったと思います。」



弁護人:「麻原さんの声か」
中川:「ではないが男の声です。その声が教えてくれたので伝えました。
それからちょっと後、亡くなる前ごろから亡くなった時、光が降ってきた。
亡くなったと聞いたときか、ちょっと後だが、光が降ってきました。
それで麻原氏が村井さんをポアしたと思った
殺したという意味ではないが、高い世界に生まれ変わったんだと私は思いました。」

弁護人:「村井さんの件、亡くなったとわかったとき、どんな思いがしたか」

中川:「そのときですか。
一つは村井さんがいなくなったということで、心にぽっかり穴があいた気がした
もう一つは高い世界にポアされてよかった、という気持ち。
歓喜が出てくる感覚が加わった。」

弁護人:「あなた自身と引き比べて何かあったのか」
中川:「自分と比べてですか。あの、うらやましかった。一つは高い世界に生まれ変わった。
あと一つは、何かあの、煩わしいことから解放されたように見えた。
随分大変だったと思うが、解放され、全部投げ出して、こちらでやれと言って、
何かうらやましかったですね。
自分がああいうふうに殺されたくないとかではなく、ああいいな、と考えました」

なお、教祖の四女は、著書の中で村井秀夫さんの死について


父親で教祖が直接村井秀夫さんに
お前の今生の役目は終わった。」と伝えているのを聞いています。
その言葉が今もよみがえって来て背筋が寒くなると書いています。

中川智正さんが、村井秀夫さんと最後にあったのは4月12日と
『ジャム・セッション』7号(2015)に記されています。
この文章の中では、意識的に自分の神秘体験については触れていません。

その後10日の間、遠く離れて行動していたにもかかわらず、中川智正さんは
自分の神秘体験をもとに、村井秀夫さんが教祖によってポアされたという証言をされました。
教祖四女の証言と不思議に一致していることに、私も今回驚きました。
その上、逃亡先でテレビ放送を見て、そういう神秘体験をしていることにも。
このテレビ放送が今も、Youtubeで手軽に見られるのですが、
当時この動画をテレビで見ていた中川智正さんの神秘体験が
このようなものだったのかとも。

確かに村井秀夫さんは教祖からポアを言い渡されています。
そのポアの解釈を、村井さんは自身を誰かに殺してもらうということで、
あの刺殺事件に至ったのであれば、
これは裁判では不明のままの扱いにはなりますが、
中川智正さんの神秘体験を無視できないのではないかと
私は思いました。
なお、村井秀夫刺殺事件について、中川智正さん自身が初めて証言したのは
教祖の公判で、教祖の前であったということもまた注目すべき点です。
ぶつぶついっていたのか、寝ていたのかわかりませんが・・・。

4年ぶりの尋問再開(地下鉄サリン事件)

松本サリン事件について、正確に語りだした中川智正被告。
黙秘をしていた地下鉄サリン事件についても、
麻原第184回公判(2001年2月9日)以降、証言を始めました。

当時の朝日新聞では、このような取り上げ方でした。

かなり大きい。
法廷イラスト入りでした。
しかし、この日の傍聴者は33名

捜査段階では、中川智正さんは
「サリンは地下鉄に使われると知っていた」と認め、
サリンの原料ジフロについても
「教団がそれまでに作ったサリンや中間生成物を1995年1月に処分した時に
もったいなく思い、自分が保管した」と供述していました。

朝日新聞のタイトルには「4年ぶりの尋問再開」とあるように
麻原第24回公判(1997年1月31日)に検察側証人として出廷したときには
中川智正被告は黙秘を続けていました。

ただ、この日、「井上嘉浩さんとは仲は良かったのですか?」と問われた時
よかったと思います。入信して初めてできた知り合いです。
ステージ的には井上くんがかなり上でしたが、ちょこちょこ話をしました。

とは答えたものの、その後は、問いかけには答えず
両手を太ももの上に置き、こわばったように動かなくなってしまいました

麻原弁護人から
「しつこいですが、ジフロを上九一色村に持ってきたひとは」
「保管したのは井上さんであることを否定できますか」
にも
「ふーん」とうなったきり返事をせず、しまいには
「ちょっと勘弁してください」と言い出す感じで、黙秘を続けていました。



それから4年・・・。
中川智正被告は地下鉄サリン事件において
サリンの生成と袋詰めに関与したことを法廷で初めて認めました

中川:(1995年3月)18日夕、村井(秀夫元幹部、故人)さんが私の部屋に来て
『これからサリンを作る』と言いました。
検察官:「その使用目的は」
中川:「聞いていません」
検察官:「生成に着手したのはいつか」
中川「19日夕方だったと思います」
(サリンは19時から20時ぐらいに完成し、村井の指示でビニール袋に詰めたとのこと)
検察官:「何袋作ったのか」
中川:「10個前後です。」
検察官:「個数は誰が決めたのか」
中川:「遠藤(誠一)さんです。」
検察官:「出来上がったサリンはどうしたのか」
中川:「遠藤さんがどこかへ持って行った」

検察官:「(中川が)逮捕された後、しばらくしてから話をするようになった。本当に反省したから真実を供述したのではないのか」
中川:「自分は死ねばいいと思っていただけで、正確に言わなくてもいいやと思っていた
(サリンの使用目的について)私はそうした事柄を教えてもらえる立場になかったと言いたかったが、
捜査員から『知っているはずだ』と言われた

麻原第191回公判(2001年4月6日)においては

弁護人:「1995年3月18日にサリン生成を始めたが、あなた(中川)と遠藤が中心か」
中川:「評価は任せます。そう言われても仕方がない」
弁護人:「前年に松本サリン事件があり、1995年1月1日に読売新聞でサリンの記事が出た。
だからもう発覚を恐れてつくらないことになったのではないか」

中川:「そうです。ぼくはそう思っていた」
弁護人:「サリン生成は教団の方針に反するのでは」

中川:「教団に一貫した方針はない。だから方針に反しているとも思わない
弁護人:「サリンをつくることを上層部は考えていたのか」

中川:「あの、考えたから作ってしまって、まいてしまった」

弁護人:「サリンの使用目的だが、捜査調書では村井から『地下鉄にまく」と聞いたことになっている。
あなたにとっては重要な問題だ。なぜ事実に反した調書に署名したのか。」
中川:「たくさんの人が亡くなっているし、結果は争いがない。ごちゃごちゃいうつもりはなかった
(中略)
弁護人:「松本サリン事件で騒がれた後なのに、また作る気になったのか」
中川:「つくりたいか、つくりたくないかと言われれば、つくりたくない。
    好きではない。でも指示があればやる

麻原第194回公判(2001年5月10日)においては

弁護人:「地下鉄サリン事件が起きたと、どこで知ったの?」
中川:「3月20日の昼頃。第6サティアンの2階で。人が何人も死んだと聞いた。
自分が生成に関与したサリンだと気づいた。教団の仕業だということも分かった。」

弁護人:「知った時の気持ちは」

中川:「一言でなかなか言えない。知った時点でですか。
もちろん遺族の方、知り合いの方は嘆くだろうとは考えた」

弁護人:「今はどう思う」

中川:「やっぱり、やってはいけないことだろうと思います。」
弁護人:「なんだよそれ、当たり前のことでしょう」(苦笑)

中川被告はしばらくうつむいて、苦悩しているような様子を見せたあとで

「そうですね。それ以外、何をしても償えない。
亡くなった人を生き返らせればいいのだけど、私にはできない
責任の取り方は結局そこに行きつきます。
私が起訴された事件だけで24人もの人が亡くなっている。
関係した事件ではもっと多い。
私がのうのうといきていること自体、まずい。いけないことだと思います

そして、麻原第193回・194回公判において、朝日新聞の降幡賢一記者によると



中川被告は、これまでかばっていた共犯者、
特に井上嘉浩被告に対して告発姿勢に出るようになりました。

どうしてこれまでかばっていたのか。
「捜査当時は地下鉄サリン事件の殺人容疑で、4,50名の仲間が逮捕されていた。
僕は死刑になるか獄死するからいいが、
僕がサリンをつくったことを認めることで彼らは関係ないことを証明したかった。
そしてその後、僕は黙秘するつもりだった」
とのことでした。

しかし、この2001年以降は
地下鉄サリン事件の提案者は実は井上嘉浩被告だったとまでいうようになりました。
「それは事件後サリンのことや、ジフロのことも井上嘉浩被告が言っていたので、井上が事件を提案したのかと思った」
そして、井上嘉浩さんが中川さんに
マンちゃん(村井秀夫)なんて、なんにもしていないんだよ
私が犯行には車が必要だといったのに、
マンちゃんは新幹線で帰ってくればいい、というくらいだったので、
車を使うように言ったのも私(井上)だ」と。
このときすでに、サリン事件実行犯・林泰男被告も、
同様の提案を井上が言っていたと裁判で証言していたので、
中川被告としてはもう自分がかばわなくてもいいだろうと
思うようになったのかもしれません。

この中川被告の証言も、井上嘉浩被告の裁判に与えたインパクトは大きかったと思います。

また、村井秀夫さんの教団内の権力は大きかったけれど、
実行力がなく部下任せ
実現不可能なことを命令するので、部下からみて無責任な人だということも言われるようになります。
井上嘉浩さんが村井秀夫さんを、
本人がいないところでは
「マンちゃん」
(村井のホーリーネームが「マンジュシュリー・ミトラ」より)
と呼んでいたあたりは、あまり知られていないところかと思います。

2016年、すでに中川智正・井上嘉浩さんとも、確定死刑囚となっていたときに
中川智正さんが書いた論文によれば、
サリンの原料ジフロの原料は、村井秀夫さんの指示で井上嘉浩さんが保管。
中川智正さんとしては、嘘をついたのは、まだVX事件が発覚していなかったからとのことでした。

井上嘉浩さんは自分に不利な事を自分からは言わないと思われたので、中川さんは

自分ががサリンをつくるために隠し持ったこととして、
上九一色村の教団施設のクーラーボックスに放置したことにしたと。
そして、それはそのまま裁判として確定しました。

その後、中川智正被告本人の裁判となったときにはすでにVX事件が発覚していた後だったので、
法廷で実は井上嘉浩さんがサリンの原料ジフロを持っていたことを話すことにしたと
書かれています。
朝日新聞の降幡賢一記者や毎日新聞社会部の記者がいうような
「オウム真理教幹部内の美学」があったかどうかについては
この論文からはうかがえないのですが、
それは化学論文の雑誌に掲載するもののため
人間の気持ちなどは極力排して書くものとして、気持ちの面は書かないよう努めたのでしょう。

中川智正「当事者が初めて明かす サリン事件の一つの真相」(『現代化学』2016年8月号)


故・中川智正氏、被告時代の苦悩(その2)

中川智正さん自身が被告時代、どのように裁判を受けていたのだろう・・・。

とりあえずは手に入りそうな本を探したところ、Amazon でこの本を見つけました。

オウム裁判傍笑記 青沼陽一郎

私が見た21の死刑判決 (文春新書) 青沼陽一郎



上の本では中川智正裁判関連よりも、元教祖の裁判中の態度について
当時新聞では知りえなかった内容が書かれています。
もしかしたら、オウム裁判傍笑記の書籍よりも、ほぼ同内容のYoutubeがあるので
そちらを見る方がお金がかからないでしょう。
3本目の動画には、早川喜代秀さんが教祖の命令により女装して普通列車で熊本から仙台まで
逃亡した話があります。不謹慎ながら電車の中でこの箇所を読み、涙を流して笑ってしまいました。
面白い話をありがとうございます。
女装組には、村井秀夫もいたことになります。









ただし動画中には、中川智正、土谷正実はあまり出てきていません。

そこで、下の「私が見た21の死刑判決 (文春新書) 青沼陽一郎」

それによると、中川智正は、裁判に臨んで、事件の事実関係について証言することをずっと拒んでいたと。
教祖はもとより、誰の公判に呼び出されても、一切を黙秘して語ろうとはしなかったらしいです。
しかし、いっしょにサリン生成中に事故で死にかけた土谷正実とは仲がよかったらしく
互いの法廷に証人として呼び出されていくと
満面の笑みで無言のうちに再会を喜んでいた
でもふたりは事件について一切を語らなかったと。

そんなある日中川の法廷に一人の弁護士が証人として出廷しました。
その弁護士は、滝本太郎さんでした。
これで有名かと思います。



空中浮揚をされた方です。

淡々とした裁判が終わろうとしたところ
滝本太郎弁護士は
「あ、あの!被害感情は聞かないんですか」
一瞬にして、傍聴席からドッと笑いが起きました。
滝本太郎弁護士もまたサリンの被害を受けているということを法廷中の誰もが
忘れていました。
「裁判所にも聞いてほしいことがあるのですが」
それを見て、証言を引き取ったのは、中川の弁護人だった。
中川の背後から立ち上がって、「それじゃあ、どうぞ」と反対尋問の延長として促しました。
滝本太郎弁護士は、それからおもむろにズボンのポケットからメモを取り出し、それを証言台の前に開いておいて
静かに語り始めました。

それ以下のことは、こちらのサイトに詳しいです。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/siryou1.html#資料1
滝本太郎弁護士関連資料サイトらしいですが
このサイト内のエピソードで、中川智正さんが逮捕2日前ぐらいに
杉並・永福町のアジトにて林泰男さん(この人も確定死刑囚)の前で
耐えられない。これ以上悪業を積みたくない」と泣いていたというのは初めて知りました。
中川智正が逮捕されたのは杉並の路上ということだから、泣き続け、放心状態になって
路上をふらついていたところだったのかとも思いました。
ここからは章姫の想像ですが、中川智正さんは逮捕されて、「ほっと」したのではないかとも
思いますが、その後の法廷で4年沈黙を続けられたのは、私には理解できない部分です。
—————————————————————–

「結論から言うと、中川智正被告について、厳正な処罰を望みます。
しかし、死刑にはしないよう、強く望みます。

 理由は少し長くなります。
 私は、元々死刑廃止論者ではありません。
むしろ何人かを残虐に殺したとき、原則として死刑にすべきものと思っています。
中川被告は極悪非道の行為をした。
浜口さん殺人事件、假谷さん事件、多くの殺人未遂事件、松本サリン、地下鉄サリン
そして八九年の坂本一家殺人事件。あなたは多くの人を殺した。多くの人を苦しませた。
松本サリンで殺された七人、地下鉄サリンで殺された一二人、一人ひとりの人生があった。
あなたはその命を奪い、多くの人を苦しめてきた、今も二人の人が重態のままです。
しかも、私の事件での一件記録からも明らかなとおり、あなたはいわば遊び半分で事件を起こしたこともあります。

 あなたの手をみせて下さい。あなたはその手で多くの犯罪を犯した。
あなたは、一九八九年十一月四日未明、その手で坂本龍彦ちゃんの鼻をふさいで殺した。 
龍ぼう おばあちゃんがお歌をうたってあげるね 
トンボのメガネは水色メガネ 
青い空をみてたから 
みてたから 
もう一つね 
メェーメェー 
森の仔山羊 森の仔山羊 
仔山羊走れば小石にあたる 
あたりゃあんよがあーいたい 
そこで仔山羊はメェーと鳴く 
龍ぼう 元気で早く帰っておいで 
おばあちゃんがだっこして 
又、何回でも何回でも 君の大好きなこの歌 うたってあげるから

 あなたはなぜ坂本堤を殺したんですか。なぜああも簡単に殺したんですか。
坂本は、池で溺れているあなたたちを助けたいと活動していたのです。
なぜ都子さんを殺したんですか。なぜその手で龍彦ちゃんを殺したんですか。
なぜサリンまで作ったのですか。
 私はあなたをほんの少しも許しません。
現世だけではなく、もし来世というものがあるなら、あなたの来世でも、そのまた来世でも許さない。
オウムでいうならば、何カルパでも、何万カルパでもあなたを許しません。

 でもそれでも、私はあなたを死刑にしたいとは思わない。
オウム真理教を知れば知るほど、そのマインド・コントロールと洗脳の実態を知れば知るほど、あなたを死刑にしたくはない。
 オウム真理教は強烈な破壊的カルトでした。
破壊的カルトとは
「教祖または特定の主義主張に絶対的に服従させるべく、
メンバーの思考能力を停止ないし著しく減退させ、
目的のためには違法行為も繰り返してする集団」を言うと思います。
 思考力を停止させるために使われたのは、マインド・コントロールと洗脳です。
マインド・コントロールとは
「対象者の思考能力を減退させるべく集積されシステム化された意識・思想・感情の操作手法の総体のうち洗脳を除いたもの」
を言うと思います。
 松本智津夫は、[豊かな社会」で生き甲斐と現実感を失った若者を引き付ける方法を知っていました。
 第1には、自分が絶対者だと称することです。
それも現世においてだけ絶対者であるというのではなく、
来世そのまた来世でも、それ以外のアストラル世界とかコーザル世界と言われる世界をも乗り越えた絶対者であり、
そんな「真理」を知る最終解脱者と称します。
通例の神という概念よりも、より高度な存在だと主張します。
この主張は、極めて魅力的なものです。
人は、支配されたい欲望、時にマゾヒスティックにまで絶対的に服従してしまいたいという欲望を特つものです。
この欲望を刺激されたとき、松本智津夫は強烈に魅力的な存在になります。
 第2には、様々なマインド・コントロールの手法を駆使します。
松本智津夫は極めて巧妙に、さまざまな手法を集積しシステム化してきました。
自己を権威化する手法、ダライラマや阿呆な知識人など外的な権威を利用し、賞賛手法、
赤ずきんテクニック、催眠・暗示テクニック、フットインザドアテクニック、ローボールテクニック、
人・物・時間の限定テクニック、
一本釣りテクニックを使い、報恩性の原理、同調性の原理を利用し、
ハルマゲドンや無間地獄などの強烈な恐怖説得、更に集団催眠の手法、秘密の共有という優越感の利用法、
そしてルビコンの川手法など使いました。
説明すれぱきりがありませんが、ここまでの手法が使われたとき、
どんな人が松本智津夫にはまってしまってもなんら不思議はありません。
 第3には、神秘体験という魅力あるフックがありました。
以前は、空気を大量に吸うことによるつまり、過換気症候群や、呼吸を止めることによる低酸素性脳症を狙って神秘体験をさせました。
勿論、監禁部屋に長くいれておいて変性した意識状態にさせ、神秘体験もさせました。
後にLSDや覚醒剤まで使用しました。
神秘な体験は脳生理学的には説明がつきますが、
体験をした本人にとっては、まさに「現実」であり、薬物と分かっている者であっても現世の方が「幻」になってしまいます。
その体験をさせてくれるのが、松本智津夫であり、彼が造ったシステムなのです。
 破壊的カルトにおいては、組織は教祖のおもいのままになります。
松本智津夫は、決して精神病者でも宗教家でもありません。
彼は、権力欲と社会への恨みと、強烈な破壊願望という煩悩に支配された人でした。
勿論誰でも、私も煩悩に悩まされる存在です。
私も、松本とともに輪廻の大海に浮沈する生き物です。
しかし、松本ほどに強烈な煩悩にさいなまれている人間はまずいませんでした。
ですから、彼がこの煩悩を実現するためにオウム真理教を作ったとき、行き着くところは見えていました。
タントラ・ヴァジラヤーナの思想は、松本の思想が凝縮されたものであり、信徒は彼の手足だったのです。
 そして中川被告のように幹部ともなれば、松本の破壊願望が伝染しているものであり、
二人組精神病の二人目と類似した状態になっていたと思います。
幹部は、いわば松本智津夫の手によって新しい人格をつけられ、
歪んだ自己実現をはかったということになると思います。
その結果、松本は、オウム真理教のメンバーの能力に応じて物理的に可能なことは、すべてできたのです。
言い替えれば、松本の代わりはいないが、中川被告の代わりは、いくらでもいたのです
 そんなあなたを、死刑にしたいとは思いません。たとえ本人が死刑を望んでも止めたいと思います。

 あなたとしては、今できることが2つあります。
1つはあなたの知る限りすべての真相を明らかにすることです。たとえ元の法友に迷惑をかけようと話す義務があります。
2つは、松本智津夫と自分自身について思索し尽くし、すべてを話すことです。
迷う時は迷うなりに、心の動きを正直にすべてメッセージにして下さい。
 その2つによって、今も残る「尊師には深い考えがある」と誤解している現役信徒の、
たとえ一人でも松本智津夫の桎梏から解き放つことができます。
殺された人、苦しんでいる被害者が、少しですけれど癒されます。
そしてこんな悲劇を二度と起こさない力になります。
あなたも一つの命を与えられた者として、その義務があります。
 それをしたときにのみ、あなたは、懺悔し、謝罪する資格があります。
つらいからといって話すことをやめてしまうとき、
あなたはざんげする資格も謝罪する資格もありません。
あなたは松本智津夫ではありません。あなたは、必ずや話してくれると思っています。
 以上の理由から、中川智正被告について、厳正な処罰を望みます。
しかし、死刑にはしないよう、たとえ本人が望んでも死刑にはしないよう強く望みます。』  

「手を出しなさい」と言われたときの中川智正は、自分の手を目で確認してから、少しおどけたように体の前に構えてみせたと。 
ぐっと顎を引いたまま、真っ赤な顔になっており、身の置きどころを失ってしまったらしいです。

これだけいわれても、この頃はまだ、話そうとはしなかったのでした。
この滝本太郎弁護士の語りは1997年頃。
さらに二年たっても相変わらず中川智正は、事件について語ることが
なかったのでした。
このころには、地下鉄サリン事件や坂本堤弁護士一家殺人事件の実行犯に、相次いで死刑求刑がでるように
なったこともあり、なぜか弁護側の立証に入ったときに
口を割らなかった中川智正が語り始めました。

「どうせ死刑だとあって、なげやりになっていたはずのあなたが、どうして
今ここで事実関係を話そうというつもりになったのですか」

「とりとめもない話です」と前置きしてから
「ひとつには今でも死刑になると思っているし、それは変わりありません。
そういう意味の責任から逃れる気もありません。
ー責任という言葉を使ってしまいましたが、それで責任がとれるとも思っていません。
私が死刑になった、だからといって何が変わるかといったら
なにも変わらない。
ご遺族、被害者、何も変わらない。
関係のないところで私が死んでいくだけのことです。
プラスになることでもなければ、私が死んでも、償いになることではないことが
少しずつ分かってきた。・・・」
そこへ、家族や友人から、きちんと話した方がいいというアドバイス、
あるいは法廷で証言する最後の機会がこの時であるという進言を弁護人から受けたことがあった、
と言ったそうです。
「それと・・・私事ではあるんですが、実は最近、親戚が増えたんです」
「・・・私は子供をつくれないけど、身内に子供を生んだものがいるんです。
その子は私が何をしたかを知らない。
おそらく一生会うことはないでしょう。
むしろ会わないほうがいい・・・。
だけど何十年か経って、身内の私のことを考えて
『この人はいったい何を考えてこんなことをしたのかな?』と理解されないのでは
残念な気がしたんです。
言っていること、わかってもらえます?
自分が死刑なるとわかってて、
人間の世界が終われば、別の世界に転生すればいいと思ってた。
でも私が居るいないに関係なく、
この世界は増えて、続いていくんだな。
きちんとしないといけないな、そう思ったんです。
あと、麻原氏の念というか、想念を感じることが一時あったが、
それがなくなった」

この頃に出版された書物がこちらですが
現在私が借りられる図書館では見つかりませんでした。
国立国会図書館しかない・・・。
文庫本なのに。
Amazonで見たら、7000円!
高い!
おそらく7月26日発売の「中川智正との対話」にあたり比べ読みで
目をつけている人が沢山いるという事かと思いました。


多分、中川智正さんだけは死刑ではなく無期懲役にしてほしいという人が多いのも
その後、彼が多く語るようになったからだと思います。
滝本太郎弁護士の言葉がどれほど響いたのかはわかりませんが

確定死刑囚になる前に、アンソニー・トゥ名誉教授と会いたいと申し出たのも
語るチャンスを失いたくないという強烈な思いに突き動かされたのか、とも
思いました。
この人からもっと多くの言葉が聞きたかったのに、死刑執行は残念でなりません。