【文春砲】“福島復興の顔”東電元副社長懺悔告白

久しぶりにブログ記事を書きます。
内容は「軍人の道は一本道」とはそぐわないかもしれません。

四月の初めのこと
いきなり衝撃的な動画が飛び込んできました。

さらにネット上の記事でも話題になりました。
被災者と男女の関係に 東電の元副社長が語る交際とその後のトラブル

東電副社長で初代福島復興本社代表でもあった石崎芳行氏が
男女関係をもっていた被災地運動家女性から5000万を要求され
東京電力(の福島担当特別顧問)を退任したというニュースです。

文春砲の当該記事によると・・・

「この半年間、悩み続けてきました。恐怖で眠れないこともありましたし、
どうしたら死ねるのかという考えも頭をよぎりました。
ただ文春から取材の連絡がきた時に決心しました。
もう洗いざらいお話しようと。
そのために昨日、会社に退職願を提出しました。
会社や家族、被災地の方々にご迷惑をかけてしまい。本当に申し訳ない気持ちで
一杯です。」という書き出しで

以下のことが書かれていました。

  • 東電元副社長(元復興本社代表・福島特別顧問)石崎芳行氏が、被災地の運動家女性と不適切な関係であることを認め、東電に退職願を自ら提出した。
  • 彼女とは互いに恋愛関係でもあった時期もあったが、石崎氏から距離を置くようになり、それで関係が悪化していった。
  • 彼女から「口止め料、精神的慰謝料5000万で手を打ちましょう」「未来永劫を考えたら安いお値段」「私の一言ですべてが公になります」などというメッセンジャー(Facebookのメッセージ機能)が来た。
  • 彼女は石崎芳行氏に「私に対する賠償を認めるよう東電に指示してほしい」と言ったこともある。
  • 石崎芳行氏がいかに東電副社長の権力をもってしても賠償ルールを変えるのは無理。
    →石崎氏が彼女主催の講演会に出席すること(事実制服姿で出席している)、
    →石崎氏から電力関連団体に働きかけて、彼女に講演してもらうようにした。
    →石崎芳行氏が「電気新聞」記者に対し、彼女を取材し、原稿料を規定いっぱいの100万ほど支払うよう依頼。
    →石崎氏は彼女が出版に携わった放射線に関する小冊子を購入するよう、福島の企業や電気事業連合会に協力をもちかけた。

  • 彼女は「東電の姿勢や石崎の被災地に関わる姿勢を世に問うて欲しい」と文春の取材で答えている。
  • 記事の出た四月初めには、Twitterでも、Youtubeでも
    「パヨク運動家にやられた東電副社長」「ハニトラにひっかかった」などという反応が多かったです。

    私も最初は、どちらかというと石崎氏と関係を持った女性の方が酷いと思っていたものでした。
    ゆすりではないか?と。
    5000万円を要求するとは、いくら何でも不倫清算にしても高すぎると、いろんな人と話したものです。

    私は、次第に石崎氏に「口止め料、精神的慰謝料5000万で手を打ちましょう」とメッセンジャーを送った彼女の意図とは何だろう。
    石崎芳行氏とその女性との関係は、男女関係のもつれだけでは終わらせられないと思うようになりました。
    なぜなら、石崎芳行氏は、彼女や彼女の周囲の人間関係を利用し、東電主導の福島復興活動のアピールをしていたから。

    本当は「男女関係のもつれ」で終わらせてはいけないのではないでしょうか。
    私は、石崎芳行氏に対するイメージは、
    「人当たりがいい人」
    「どんなところでも東電の制服を着て被災者の輪に加わる努力をするひと」と思っていました。

    軍人という方々が軍服を着ることは、軍組織に対して忠実であるということを意味していると、 洪 思翊(こうしよく)中将の大東亜戦争敗戦の時の言葉から学びました。

    大東亜戦争で敗戦側となった洪 思翊中将。
    朝鮮半島に日本の陸軍中将という立場を捨てて帰り、指揮官として活躍できるチャンスさえあった。
    それも捨てて戦争犯罪者として絞首刑を受けたのはなぜなのか。
    その答えが
    「自分はまだ制服を着ている。この制服を着ている限り、私はこの制服に忠実でありたい。従って、朝鮮半島に帰り独立運動に加担するなどということを考えない」
    と部下に話したという逸話を思い出しました。

    戦後の日本企業が、軍組織を模倣している部分も多々あると感じていた私は、
    ご自身も制服に「東京電力福島復興本社代表」の腕章をつけてJビレッジで生活され、
    東電が実施する復興推進活動に参加する社員に対しても、
    「必ず制服で行くように」命令していた石崎芳行氏に関する今回の記事は、
    「東電側が率先して男女関係のもつれで終わらせたい」ことだったのではないかと思えてなりませんでした。

    石崎芳行氏の福島に及ぼした影響がどのようなものか。功罪含めて、誰か明らかにしてほしいと思っていました。
    それは石崎芳行氏個人の問題ではなく、東京電力の問題でもあるはずです。
    石崎芳行さんは東電の制服着用にこだわり、社員にも制服着用で福島に来るように命令していたのだから。

    石崎芳行氏は、誠実な人柄を武器にして、被災地の復興活動を推進する立場でした。
    マスコミにもそのようにアピールしていました。
    例えば、この記事。

    「東電は許せない。しかし・・・」

    私はこれを読んだとき、ニコニコ動画の東電原子力定例会見での東電の情報隠しを見ているせいか
    非常に違和感を感じました。
    石崎氏は東電寄りの被災者を利用し、自身の東電広報の経験、東京電力福島復興本社代表という立場を利用し、東電に都合のよい報道を大きくさせて
    都合の悪い報道を流させないようにしているのではと思えてなりませんでした。

    最近、2013年ぐらいの東電原子力定例会見でも姿が見られた
    朝日新聞の青木美希氏がこの本を上梓されました。

    石崎芳行氏や東電が登場しない部分で、このような悲劇が起きていたのか。
    被災地における深刻な人間関係崩壊の悲劇。
    十分な賠償をされないために自殺をされた方々。
    本来は福島地元マスコミが、先頭立って東電を追求すべきであるのに、そのような記事がない。
    原子力定例会見でも福島地元マスコミたちはあまり質問をしないのが通常。

    今のところ、石崎芳行氏の件は「男女関係のもつれ」以上に発展していないのが残念なところです。

    私には力不足すぎるけれど、
    自分がインターネット上で見た情報をつなぎ合わせてブログ記事にすることで、
    石崎芳行氏の件について「男女関係もつれ」だけ風化させず、
    これまで加害企業として何をしてきたのかを明らかにするよい機会と捉えたいです。

    堀栄三氏『大本営参謀の情報戦記』と一井唯史氏(元東電社員)のFacebook記事の並行読み

    最近、軍組織と企業組織が似ているなと感じることが
    多く(特に東京電力についてTwitterでつぶやいている)
    今一度読み返してみたいと思う本がこの本です。

    著者は堀栄三(1913-1995)氏。
    この方は、東京陸軍幼年学校→陸軍士官学校(46期)→陸軍大学校(56期)を経て

    ※陸軍大学校とは、今でいう大学とは全く違うものです。
    陸軍の高等教育機関で、少佐になるまでに入学できなければいけないという制限のもと
    全国の部隊から優秀者が受験してくるところでした。
    1回で入れた人(武藤章中将)もいれば、2回、3回受験も当たり前で
    最後の受験でも失敗に終わってしまえば、
    「せいぜいがんばって大佐になれればいいか」ぐらいの考えになるものらしいです。
    つまりは陸大を出ていないと、中央部での勤務機会や
    将官への途はほぼ閉ざされるらしいです。
    失敗に終わった軍人のなかで、それなら部隊勤務に精を出そうとか
    憲兵科に方向転換する人もいました。

    いきなり大本営(参謀本部第二部)に配属されました(陸軍少佐・1943年)
    30歳。

    今の日本企業社会においては、ようやく難しい仕事も任せてみようと思われるぐらいかと
    思います(もちろん大企業の正社員さまや、中央官庁の官僚という前提)。

    当時の参謀本部では毎朝戦況報告会を行うこととなっていて
    ここには、参謀総長(大将)や大臣も出席することもあったようですが
    当時は次長(中将)が出席することもあったとか。
    そういう偉い人が出席するとなると

    「富永恭次陸軍次官が出席したときは、二重三重となってテーブルを取り巻いていた
    周囲の者がさっと道をあけて、(富永)次官は地図の広げてある大テーブルの傍に立ち
    あたりの周囲が一変して緊張した」

    ぐらいだったことです。

    堀栄三(当時少佐)は、ソ連担当の第五課に勤務してわずか二週間たらずで
    いきなり有末精三第二部長(少将)から

    「堀参謀は明日からソ連戦況の説明をやれ!」と無茶ぶりされました。

    堀少佐はとても困惑され、
    「まだソ連については詳しい地名も覚えていないので、もう少し暇をくれませんか」

    恐る恐る正直な返事をした途端

    「何を!そんな奴は参謀の資格はない!」というや否や、
    起こった有末部長は堀の参謀懸章をひっぱった

    (この写真の左側の編み込みのようなものが参謀懸章といいます。
    これを上司に引っ張られたのでした)

    無惨にも懸章は肩の部分の止め金が外れて、もう少しで引きちぎられそうになった。
    情けないが、堀は
    (※この著書内では堀栄三氏は、「堀」と称している。これはご自身でさえも客観的にみたいとする意志によるもの)
    いまそれを引き受ける自信はまったくなかった。
    大本営とは陸軍の俊才が集まるところであった。
    俊才とはこんなときに、わかった顔をして引き受けるのだろうか。
    目から鼻に抜ける人間が天下の俊才というのだろうか。
    嘘でも丸めて本当のようにしゃべるのが大本営参謀であろうか。
    しかし、どうもそうらしい

    とにかく、じっくり型の堀は生れて初めて大勢の前で面罵された。
    いずれにしても堀には、あのときあの返事しかできなかった。
    出世街道をひた走りに進んできた有末部長のような幕僚型の人物とは、
    こういうタイプの人物をいうのだろうか。」

    「誰が、どのような手続きをしたのか、若輩参謀には皆目わからなかったが、
    その翌々日、堀は電光石火の人事で第六課(米英課)に替えられてしまった。
    (中略)挙句の果てに落第のような形で第六課にきてしまった。
    いよいよ、米軍と真正面に取り組む情報の舞台に立たされたのであった。
    迷惑だったのは、落第生を拾った第六課長杉田一次大佐だったはずだ。
    実務型というか、実践型というか、人を育てて、その能力を出させるような使い方をする課長であった。」

    章姫にとってはこの堀栄三氏の書物は、何度も読み返している本でもありますが、
    今回久しぶりにひも解いてみて
    いろいろと考えさせられました。

    最近、Twitterでつぶやくことが多くなった東京電力との共通点が
    まず二つ、見出せます。

    ひとつは、パワハラが常態化していること。

    もっとも堀栄三氏も、陸軍幼年学校(今でいうほぼ中学生ぐらい)から陸軍生活を
    しているのだから、殴られるのは当たり前だろうと思うかもしれない。
    陸軍の下士官世界での暴力はいろんな本で知ることもできるから
    意外に思うかもしれない。
    それを知らない堀氏でもあるまいに。
    (陸軍士官学校を出ると、部隊に配属されるので、
    そこで少しは下士官との接触もあるはずだから)

    その堀栄三氏をして、これまで受けたであろう暴力・暴言を吹き飛ばすほど
    有末精三参謀本部第二部長から振るわれた暴力が心身共にこたえるものであったこと。

    電通社員で過労自殺された高橋まつりさんは、女子力がないことや、仕事が遅いことなどを上司に言われ続けたことをTweetされていましたが、

    大本営の参謀本部での堀栄三氏や、東電の一井唯史氏が受けたパワハラというのは
    やはり電通とは違うように思います。
    陸軍も東電も、安全管理が第一の組織だから。

    堀栄三氏も一井唯史氏も、
    安全管理第一のために正直に答えり、行動しようとしたところ、
    いきなり上司からの暴力・暴言があった。
    頭ごなしに怒鳴られ、「なぜわからないのか?」とさえも聴いてもらえなかったところ。

    ふたつは、(当時の陸軍は戦争中というのもあるが)
    適性を無視した人事異動が激しかったこと。
    一井唯史氏が東京電力の「無茶ぶり」な異動、組織改編と似ているように
    思うのは私だけだろうか。

    おそらく堀栄三氏は、「ソ連関係の情報参謀として落第」し、めでたく米英課へ異動し
    そこで、よき課長・杉田一次大佐に恵まれたようだが。
    一井唯史氏(東京電力)の場合もFacebookの311関連投稿から該当箇所を引用すると。

    「◯賠償の第一陣として
    賠償の第一陣として「産業補償協議 第8グループ」への異動辞令をもらいました
    勤務地は東京都内です。
    (中略)
    自分が何をするのかわかりませんでした
    とにかく被災企業との協議は一般個人の賠償に比べてかなり難しい業務になるだろうと予想しました
    配属先が研修所だということもあり、そこから東北や関東の賠償の事業所に出張したり、
    被災企業に赴いて協議を行うのだろうかと色々な想像をしました。
    自分も含めて賠償業務に出た社員は会社の中では一軍ではありませんでした
    賠償担当となったからには中核者になろう、もう電気事業には戻らないで30年は続くだろう賠償に身を置こう、
    定年の時に賠償がようやく一段落して良かったと思えたらいいのではないか、そう考えました」
    (2011年9月のこと)

    「よくわからない形ばかりの研修の後、福島に請求書の書き方の応援に行き、ほとんど見たことがない一般個人の請求書を見ながら説明しました
    この手の無茶振りは東京電力ではよくある話です」

    一井唯史氏(東電)も堀栄三氏(陸軍)も、ご自身の立場を「一軍落ち」と思いながらも
    新しい職務に意味を見出そうとされておられます。、

    賠償業務が30年以上も続くと考え、その分野の第一人者たらんとされた一井唯史氏(東電)ですが、
    与えられた場所、権限は以下の通り。

    「研修所となっている元東電学園(全寮制の高校)の教室には電話機が用意されていました
    マネージャーから説明がありました
    「皆さんにやっていただく仕事は審査結果にご納得をいただけない被災企業からの問い合わせ対応です。担当地域は全エリアです。」
    「謝罪をして審査結果にご納得をしていただけるまでご説明をしていただきます。
    協議グループではありますが、皆さんには審査内容や審査金額を変更する権限がありません。」

    その後どのように職務が変わっていったのかは、こちらに詳しいです。

    「平成23年9月~平成25年6月末までの約2年の間、法人部門の賠償業務に携わりました。
    2つのグループでグループを代表する役職を歴任した後、
    平成25年2月18日~平成25年6月末までの約半年の間、
    法人部門の賠償組織を代表し基準の責任権限を有する産業補償総括グループ基準運用チーム6名のメンバーとして、
    複雑で難易度の高い賠償案件の相談を受けて賠償可否の判断や方向性の指南を行い、
    法人賠償11グループ約450名を統括する重要なチームで賠償の指南役を務めました。」

    研修所が新しい職場となってから、平成25年6月までの約二年間に
    権限なしの謝り部隊(被災された企業様担当)
    →二回のグループ変更(事実上の職務変更)
    →法人賠償業務の指南役と、

    この文章だけでもどれだけ東京電力が原子力事故対応だけでなく、賠償業務においてもまた
    場当たり的であったかが読み取れます。

    一方、陸軍は
    堀栄三氏が異動となった米英課は、米英と戦争をしているのだから
    さぞ、重要な職務なので、情報集めのための準備が十分にあったのでは思うのが、おそらく世界の常識だと思います。
    しかし、米英課は、
    「これが戦争の真正面の敵である米英に対する情報の担当課かと疑われるほど粗末であった。
    杉田大佐は、(中略)泥縄式という言葉をあちらこちらで使っているが、
    この人事や第二部の改編の目まぐるしさは、泥縄の見本のようなもので、(中略)
    底流を見つめると、日本の国策を決定するための基礎となる最重要な世界情勢判断の甘さが大本営自身をも翻弄していたことがわかる。
    その挙句、大本営は周章狼狽する。打つ手が後手後手になっていく。
    そのツケは当然ながら、第一線部隊が血をもって払わなければならなくなる。」

    この文章は、本当に、戦争に負けたあと、原子力の事故まで起こした21世紀の我が国において、
    失敗の本質はいまだ変わっていないし、それにさえ気づかないふりをしようと
    していることを、深く、深く教えてくれます。

    今回は、Facebookなどで記事を拝見している一井唯史氏(元東電社員・原子力事故賠償)の文章と並行しながら、
    堀栄三氏の『大本営参謀の情報戦記』の一部を読んでみました。
    改めて、堀栄三氏の言われていることは、現在日本においてもまだ「新しい」ことに
    残念ながら気づかされました。