聖心女子学院の校門を設計したチェコ人建築家

「軍人の道は一本道」と銘打っておきながらですが、

私自身は近代建築にも興味をもっております。
それで、ちょっと時間とゆとりがある時に、
近代建築めぐりをします。

それで、今回はこちら

聖心女子学院校門です。

聖心女子学院校門

この校門、とても日本風ですが
何と設計したのは、日本を愛してくれたチェコ人Jan Letzel(ヤン・レッツェル)という方です。
この方はオーストリア=ハンガリー二重帝国のナホト(現チェコ共和国)に生まれ、建築専門学校で
学び、1907年に来日された方です。
1909年に聖心女子学院の校門を、
その翌年、雙葉学園の校舎をそれぞれ設計されました。
その他、有名なところでは、広島原爆ドームと言われている
広島県物産陳列館の設計も手掛けられました。

この方は、建築家としての活躍は滞日していた1907~1923年の時代が
一番恵まれていたように思います。
しかしながら、この方は1923年に失意のうちに故郷に戻らざるを得ない悲劇に見舞われました。

関東大震災があったからです。
母国に帰国して2年の間、設計の仕事ができる精神状態でなく、
母国の家族、友人、知人に見放され、
自分のしてきたことがすべて、大震災で失われたとの失意の中で
亡くなられました
45歳でした。

滞日していた時代、第一次世界大戦で独立したチェコ共和国の
在日大使館の商務官まで勤めるなど、恵まれているように見えたこの方でしたが、
母国では温かく迎えてくれる人もいなかったようです。
切ないですね。

でも、日本で彼の残したものは、「再利用」されています。
震災で破壊された門はコンクリートで固められ、
左右に亀がいて、上部中央には、聖心女子学院の校章が
あります。
亀はカトリック的な意味ではなく、
「鶴は千年亀は万年」という意味があるらしい。
これは雑司ヶ谷の名工の作とも言われています。

天国にいらっしゃるヤン・レッツェルさんに、
あなたが手掛けられた建築は、きちんと形を変えて残っています。
日本を愛してくれてありがとうございますと申し上げたいです。

なぜか軍人の娘は、聖心女子学院や雙葉学園をご卒業される方が多いんですよ、
と無理やり最後は「軍人」に結び付けておきたいと思います。

大正時代の幼年学校

昨日の投稿でご紹介した武藤章さんの後輩でもある
松村秀逸著『三宅坂』には、かなり面白い話が
あります。

陸軍中央幼年学校

その一つが、大正時代の幼年学校がどのようなものであったかです。

大正時代とは、西暦だと1912年7月30日から、1926年12月25日までをいいます。
この間、ヨーロッパでは第一次世界大戦に、ロシア革命など大きな事件がありましたが、
日本ではわりと「ゆとり」があった時代というイメージだったのではないでしょうか?

当時の幼年学校は、厳しいと言えば、厳しかった!らしいです。

例えば

  • 万年筆使用禁止
  • 歯磨楊子は竹製でなければならない
  • 松井須磨子主演のカチューシャを歌ったら処罰!
  • 生徒に対し、新聞は切り抜きしか読ませない。
  • 厳しいですね~。

    松井須磨子さん主演のカチューシャって
    今では高校日本史の教科書にも記述があるぐらいで、
    「暗記しなきゃならないの~」的な扱いではありますが、
    当時としては、教育的によろしくないもの扱いだったのですね。

    松井須磨子

    でも、日曜日には外出すれば、生徒は新聞・小説は読んだし、
    酒もたばこも飲んだし
    外から見るイメージよりは窮屈ではなかったらしい。

    よく、寒い時期でも全員整列直立不動して、
    軍人勅諭を奉読するような写真が少年雑誌に
    あったらしいですが、それは、満州事変以降の話だったということです。

    精神的な教育もそんなに喧しくなかったという・・・。

    現代の我が国のどこかの私立中学・高等学校の方が、よほど厳しいかも・・・。

    それに今では酒・たばこを許す学校があるなんて報道されたら、
    ネット上で大バッシングが起こるでしょう。
    (現実は高校生でも喫煙者がいるであろうというのは、まあ、お察しくださいですが、
    コンビニでも年齢確認をしたりするし、値段も高いのでそんなに高校生の稼ぎでは
    買えないのではとも思うのですが)

    幼年学校では、「おこづかい」制度があったということで、
    50銭以上のこづかいをもらう時は、
    日本紙に願書を書く必要があったということです。

    「特別小遣金願
     一、金50銭也。
     右、洗粉代」

    として受け持ちの中尉に提出した生徒がいたとか。
    さっそく生徒は将校室に呼び出され、「洗粉代とは何か?」と
    詰問を受けたと。

    生徒曰く、「国漢の先生が、顔の綺麗な生徒がすきだから、私も落第しそうですから
    洗粉を買って磨きたいと思います」といって、小遣いをもらい
    洗粉はお菓子に化けた、ということです。

    結構軍人さん、甘党いるんですね~。
    のんべえの方が多いように思いますが。

    この方は超・甘党なんですよ!
    山下将軍