さらば、九段会館

ついに九段会館の取り壊しが決まりました。

いつかこの日がくるのではないかとは思っていましたが・・・。

東京新聞より

>東日本大震災による天井崩落事故で多数の死傷者を出し、閉館した東京都千代田区の九段会館が取り壊されることになった。
一九三四年に軍人会館として建設され、三六年の二・二六事件では戒厳司令部が置かれた歴史を持つ会館だった。
老朽化もあって震災後の営業再開はできず、
「帝冠様式」と呼ばれる特徴ある建物が姿を消す。
取り壊し後は、民間資本による新たなビル建築が予定されている。 (新開浩)
 会館は鉄筋コンクリートづくり地上四階、地下一階。「帝冠様式」の外観は、洋館ながら日本の城のような屋根が特徴だった。戦後は一時、連合国軍総司令部(GHQ)に接収された。
土地と建物が国に返還された後、五三年から日本遺族会に無償で貸し出され、同会がホテルや事務所を運営してきた。

東日本大震災による事故で多数の犠牲者を出してしまい
そのまま営業再開もされないまま、ついに取り壊しになってしまうのは
予想できたこととはいえ、さびしいです。
震災当時、九段会館で天井が崩落し、多数の死傷者が出るほどだったということを
知った時、私も東京某所(別の区の築40年のビル)にいたこともあって
恐ろしい気持ちになったことを思い出します。
この天井事故にて亡くなられた方々の御冥福を今一度祈るとともに
昭和初期の建築がこれでまた、一つ姿を消すということで
これまで、私自身が写していた写真を出してみたいと思います。

まずは全体を

九段会館

上部には「ガンダムのような飾りが」
何の意味があるのでしょう?

九段会館の「ガンダム」

参考:お台場のガンダム
ガンダムお台場

最後に「おそらく山下奉文大将がフィリピンに赴任する前夜を過ごされた部屋」(外から)

山下奉文大将日本最後の日

この部屋については、震災よりずっと前に写真を撮りに行った時に
駐車場にいらした方に聞いてみました。
「山下将軍が日本最後の日を過ごした部屋ってあの辺りでしょうか?」と。

「よくわかりませんが、偉い方の宿泊された部屋はあの辺りだったとは思うんですがね」
と言われました。

この駐車場にいらした方、とても九段会館に詳しく
いろんなお話をしてくださったことを思い出します。
震災後にこの職場を離れていると思いますが
どこかで元気にしていてくださいと遠くより念じております。

聖心女子学院の校門を設計したチェコ人建築家

「軍人の道は一本道」と銘打っておきながらですが、

私自身は近代建築にも興味をもっております。
それで、ちょっと時間とゆとりがある時に、
近代建築めぐりをします。

それで、今回はこちら

聖心女子学院校門です。

聖心女子学院校門

この校門、とても日本風ですが
何と設計したのは、日本を愛してくれたチェコ人Jan Letzel(ヤン・レッツェル)という方です。
この方はオーストリア=ハンガリー二重帝国のナホト(現チェコ共和国)に生まれ、建築専門学校で
学び、1907年に来日された方です。
1909年に聖心女子学院の校門を、
その翌年、雙葉学園の校舎をそれぞれ設計されました。
その他、有名なところでは、広島原爆ドームと言われている
広島県物産陳列館の設計も手掛けられました。

この方は、建築家としての活躍は滞日していた1907~1923年の時代が
一番恵まれていたように思います。
しかしながら、この方は1923年に失意のうちに故郷に戻らざるを得ない悲劇に見舞われました。

関東大震災があったからです。
母国に帰国して2年の間、設計の仕事ができる精神状態でなく、
母国の家族、友人、知人に見放され、
自分のしてきたことがすべて、大震災で失われたとの失意の中で
亡くなられました
45歳でした。

滞日していた時代、第一次世界大戦で独立したチェコ共和国の
在日大使館の商務官まで勤めるなど、恵まれているように見えたこの方でしたが、
母国では温かく迎えてくれる人もいなかったようです。
切ないですね。

でも、日本で彼の残したものは、「再利用」されています。
震災で破壊された門はコンクリートで固められ、
左右に亀がいて、上部中央には、聖心女子学院の校章が
あります。
亀はカトリック的な意味ではなく、
「鶴は千年亀は万年」という意味があるらしい。
これは雑司ヶ谷の名工の作とも言われています。

天国にいらっしゃるヤン・レッツェルさんに、
あなたが手掛けられた建築は、きちんと形を変えて残っています。
日本を愛してくれてありがとうございますと申し上げたいです。

なぜか軍人の娘は、聖心女子学院や雙葉学園をご卒業される方が多いんですよ、
と無理やり最後は「軍人」に結び付けておきたいと思います。

横須賀鎮守府司令長官官舎

Facebookで親しくお付き合いさせていただいている
中久保勲さんからの情報で知りました。

神奈川新聞社の記事です。

>旧海軍の横須賀鎮守府司令長官官舎の竣工(しゅんこう)100年を記念した講演会と見学会が
22、24の両日、横須賀市田戸台の海上自衛隊田戸台分庁舎(旧長官官舎)などで開かれる。

 「横須賀の文化遺産を考える会」(長浜つぐお代表)の主催。22日は午前10時半から、
郷土史研究家の長浜代表による講演を横須賀市西逸見町の市生涯学習センターで行う
。24日は午前10時から、田戸台分庁舎で現地見学会を実施する。

 分庁舎は1913年に建てられた洋風館と和風館の接続住宅。34代にわたる歴代の長官が居住したが、
戦後は米軍に接収されて在日米海軍司令官らの住居として使われた。69年に返還され、海自横須賀地方総監部が管理している。

 講演は、創建時から戦後の混乱期を乗り越えて現在に至る100年を検証する内容。
設計に当たった日本人初の英国公認建築士の称号を持つ桜井小太郎の足跡や米軍に接収されていた当時の使われ方、
近年明らかになったステンドグラスの逸話などを紹介する。

 参加費は全2回で千円、定員は先着60人で、18日が締め切り。問い合わせは同会電話046(826)0848へ

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1309040029/

この横須賀鎮守府長官官舎は、桜の時期しか開館されておらず
私はその時期を探って、頑張って行ってきました。

京急県立大学駅で下車して、徒歩15分ぐらい。
坂をのぼります。

すばらしい桜と邸宅が見られて幸せな気持ちになりました!(^^)!

このようなところです。

●桜の時期の外観

yokotin_kansya

●執務室

DVC00033.JPG

●和室

washitu_yokotin
ここに一時期長官として住まわれた方には、
米内光政大将(1935年2月〜)などがいらっしゃいます。
米内光政大将はちょうど2・26事件の時に横須賀鎮守府長官でした。

また、築100年ということで、実は横須賀鎮守府長官をつとめられたことが
なかった東郷平八郎元帥や、日露戦争直後に横須賀鎮守府長官になられた
上村彦之丞大将は、ここに住まわれたことはありません。

中々行けない場所でもあるので、もしこの日行けるならば行っておいた方が
よいと思います。

私だったら、ランチは料亭小松で頂き、

2009-05-31 14.59.21

料亭小松のHP
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ryoutei-komatsu/

★約5,000円ほどで、予約が必要との事。

そのあと、タクシーでこちらに向かい、
しばし、横須賀鎮守府長官になった気分に浸りたいものです!
贅沢だなあ〜〜〜。