東京電力・原子力定例会見

石崎芳行氏と増田尚宏氏(現・東京電力副社長。3月まで廃炉推進カンパニーCDO)のコンビの功罪は
情報発信の面において、
見る人が見ると
東電の隠蔽体質はさらに悪化、後退するばかり
一方で、Yahoo!などの311関連記事では「きれいごと」な世界を語り
(例えば、、「東電は許せない。しかし・・・」
とりあえず311の時だけは、思い出そうとして記事を読む多数の人間には
もう事故は収束して、デブリってものを取り出せばなんとかなるんじゃないか
という理解で止まってしまうという事だと思います。

「東京電力原子力定例記者会見」とは、
東京電力のHPでも記者会見動画は掲載されています。
それと一部重複するものもありますが、
ニコニコ動画やIWJのものは震災時からの会見も残っているので、震災当初からどのように変わっていったのかもわかります。

さて、この原子力定例会見を見続けると(私は、おしどりマコ @makomelo さんがTwitterでつぶやいているのを見て
「今日会見の日だっけ」とタイムラインを追うぐらいで
面白そうな(会見者側の東電社員とマスコミとのバトル)時は熱心に見ます。

この原子力定例会見、当初は、会見者の東電社員にあだながつけられて結構見られていたのですが
(私は当時みる時間がなかった)
今でも見ている人は本当に貴重です。
たくさん学ばせていただいています。

特にピックアップしたい会見をこれから挙げたいと思います。

2014年7月10日

増田尚宏氏が廃炉推進カンパニーCDO挨拶の時に同席していた石崎芳行氏について
語り、自身も技術者ではなく通訳になると宣言

東京電力廃炉推進カンパニ発足会見
「私実は、あの一番右に座っている石崎が福島第二の所長のときにその下で技術屋として副所長をやらせていただきました。
そこのところで、大分、いろんなことを・・・。
石崎が事務系の人間、広報のところが経験豊かなこともあっていろんなことを学びまして
技術屋が技術屋として言えばいいんじゃないなということを感じました。
今度は自分がそれを経験した立場として、福島第一の構内で働く皆に、しっかりと通訳をして伝える。

皆さんの思いにあわせてどんな情報を現場から発信すればいいのかも、通訳するってことを心がけたい。」

その7日後の7月17日(木)会見では、現地福島からの情報発信として
広報担当者に発令された会見者の、耳を疑う自己紹介がありました。

東電会見20140717(ニコニコ動画)

「あっ、どもー。はじめまして。
今、紹介をされました1F廃炉推進カンパニー 広報担当!ということで
7月1日から、こちらに参りました。
えっとぉ、私、前任者が、実は!おりませんで、廃炉推進カンパニーの広報担当は、私が第1号です。
震災前後には青森県の東電の子会社におりまして、福島についてはちょっと情報音痴なところがありましてぇー

なぜ就任挨拶で「福島については情報音痴」と正直に答えてしまう人物を広報担当者に充てたのでしょう。
この人事をしたのは、廃炉推進カンパニーの最高責任者である増田尚宏氏に違いありません。
増田氏からみて、この「情報音痴だけど、福島勤務経験はある」と答えたこの社員こそが
わかりやすく情報発信できると判断したとしか思えません。
特に7月10日に自身も福島第一で働く者たちの通訳になると宣言した言葉からも、
そうとしか思えません。

これが何をもたらしたのでしょうか。
「情報発信の大幅な後退」です。
東電会見には、おしどりマコさん、テレビ朝日松井さん、吉野さん、フリーの木野龍逸さんのように
事故当初から通い詰めていて、おしどりマコさんはすべて会見を書き起こし、
そこから人間関係なども推測したうえで、質問をされているとのことです。
なお最初のおしどりマコさんの質問はこのときだったかと思います。


まだ、ブースカ氏という、何を言われても冗長にあいまいにして東電に都合の良い、
何が問題で問題でないのか煙に巻くような方がメインの時代でした。
このブースカ氏の功績で、話についていけないマスコミの方は会見に出入りしなくなりました。
そうなると、その社では東電が出す情報が正しいとするしかなってしまうので
記者が会見に出席したとしても、質問もしないで帰ってしまうのが見受けられました。

余談ですが、このブースカ氏に対して、直球勝負を挑んだ方のことも
懐かしく思い出します。
こちらの動画です。

情報公開基準をつくっておきながら、最高責任者自ら破って平然

これは、
2015年2月26日会見です。
この日は、K排水路の隠蔽を隠し切れなくなって発表した(質問は2013年からあったのに)こと。
そのほか、東電がマスコミとのやり取りの上で自ら定めた公表基準を破ったことについても
追求がありました。

公開基準とはこちら

こちらのふたつの動画に詳しいです。


この日の会見は、中長期ロードマップ会見なのに、緊急会見並みな事故が起こっていることを
平然と話す増田CDOに対し、
ニコニコ動画の七尾氏が追求しています。
それに対して増田尚宏氏は
そういう議論をしたくない!です」と打ち切りをしています。
会見打ち切りは、最近の日本大学広報担当者のが有名ですが、
それ以前であれば、この増田尚宏CDOのこれがすごいと私は思っていました。

おしどりマコさんの質疑については、こちらの動画

および、ブログのこちらの記事に詳しいです。
海への汚染水流出:東京電力の本音「測ってしまったから、わかってしまった」

なぜ反原発の人たちがいるのか。
原発推進派で保守を自称している人にすれば
左巻き、サヨク、パヨクといろいろ罵倒する呼び方がありますが、
その方々の方がよほど熱心に東電会見に通い続け、記録し続けて
東電会見者に質問をし、その反応を見るという努力の前には
単なる罵倒としか思えません。

しかし、一番の問題は、この大切な東京電力からの情報発信が
ニコニコ動画やIWJしかなく
ニコニコ動画もIWJも採算取れないらしい中で、やはり大切なことだからと
続けられているのですが、それは東京電力としては
あまり注目もされないから、公開基準を破っても悪いとは思っていないことです。
おそらく、廃炉推進カンパニーの最高責任者たる
増田尚宏氏は、
石崎芳行氏ならどう思うか」だけで判断しており、
一般視聴者の素朴な疑問に正面から答えようとしないで隠すこと
それが年々多くなり、ついには
増田尚宏氏自身が、東京電力の副社長となられ
この会見に出ることがなくなったことです。

最後に、原発作業員が心肺停止でドクターヘリで搬送されているのに
それさえもプライバシーを盾に一切答えなかったため
会見後にマスコミが会見者に問い詰めるシーンの動画を掲載します。
これら動画をみていると、東京電力という会社には原子力を扱うことは
できないと思います。

事務系出身の福島第二原子力発電所長

東京電力福島復興本社の代表を務められた石崎芳行氏を語るうえで
一番重要なことは、
「事務系出身でありながら原子力発電所長を務められたのはなぜだったのか。」
「石崎芳行氏の功罪はその後の東京電力にどのように影響を及ぼしたか」
であると思います。
石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビ

参考文献:

石崎芳行氏が福島第二原子力発電所長に就任されたのは2007年ですが、
2002年の東京電力原発トラブル隠しがあり、原子力部門の意識改革が必要ということになり
福島第一、福島第二、柏崎刈羽(新潟県★)のうち一つは、事務系の所長を置こうという事になったことで
石崎芳行氏が就任する以前に、福島第二と柏崎刈羽原発では事務系出身所長が存在していたらしいです。
事務系出身の所長を置いて東京電力は変われたのでしょうか。
2007年には、東京電力内原子力・水力、火力といろいろな部門での改ざんが明らかになり
またまた東京電力に騒動が起こりました。
その時に本店の広報部長であった石崎芳行氏は、社長(当時は勝俣恒久氏)から、福島第二の所長をやってくれと
言われて就任することとなりました。

就任の時、「事務系出身が原子力発電所長務まるのか」と原子力部門育ちの技術系社員たちの心配顔に向かって
「これからは俺がこの発電所の広報マンとして動く。きみたちの仕事ぶりを地域の方にどんどんアピールしていく」
「その代わり、発電所内の仕事は任せる」
と宣言されました。

原子力部門の技術系幹部の中に、現在東京電力の廃炉推進カンパニー最高責任者を経て副社長になられた
増田尚宏氏がいました。
当時はユニット所長で、彼の上には副所長(技術系・事務系)がいたにもかかわらず
石崎芳行氏から全幅の信頼を置かれるようになりました。
なぜ石崎芳行氏は、副所長よりも増田尚宏氏を信頼したのでしょう。

「おまえ、そんな説明では世間では通じないよ」という会話ができると
認めた初めての技術者だったからです。

このころ、新潟県の中越沖地震が起こり、柏崎刈羽原発で変圧器が燃えた事故も起きました。

石崎芳行氏は土曜日で休みで、テレビの報道で事故をしり、「原子力は終わった」と
増田に電話をしたら
「大したことないですよ、あんなの。あれは発電に直接必要な設備じゃないし・・・」と楽観的だでした
「おまえ、バカか!そんな言い方で世の中が納得するはずないだろう。女房に聞いてみろ」
増田は、本当に奥様に聞いて
「所長(石崎)の言う通りでした。私の感覚が間違っていました」と素直に認めたとのことで
石崎芳行氏は「こいつは違う」と評価されました。
常に増田尚宏ユニット所長には
お前がいくら安全だと思っていても、世間はそうはみないんだ。
それは広報部長の経験でわかる。
俺は半分マスコミみたいなものだから、俺を説得できないならお前はユニット所長として失格!
」といいながら
増田を信頼し、事務系として足りない部分を増田に教わりながら
発電所長の任務をこなされたのでした。

石崎芳行氏が増田に対して「俺を説得できないなら失格だぞ」といいながら
事務系なので原子力の技術については知らないことが多い
でも知らないことは知らないと、増田には聞いてくる。熱心に所内をカメラを持って写真をとり
質問をしてくる。
そういう姿を見て、増田は、「石崎所長にまず原子力発電所のすみずみまで見てもらおう」と
毎日、石崎を発電所中連れまわし、説明を一生懸命、事務系でもわかるように、
「全身マスコミ」な石崎が、発信するときにしやすいようにしつづけました。
そんな増田を石崎は、発電所長として運営する立場として
外とどう接していくかを、地元の人たちや町長との対話の機会に連れて歩きました。

そして、石崎芳行氏が福島第二原子力発電所長を去る時に、清水社長から後任は誰がよいかと
聞かれたときに
「増田(尚宏)しかいません」と答えました。
その通り、増田尚宏氏が福島第二原子力発電所長に就任。
原子力事故の時に福島第二原子力発電所長として、危機を救ったとされる増田尚宏氏は
原発推進派の間で、その危機に際してのリーダーシップなどを評価され
「英雄」となりました。

櫻井よしこオフィシャルサイト

櫻井よしこ氏は、この広告で有名だと思います。

櫻井よしこと国基研

石崎芳行氏の増田尚宏氏評は以下の通りです
原子力屋はもっとわかりやすく語るべきです。
その感覚を持ち合わせているのが増田だと思います。
それができないなら、東京電力に原子力を扱う資格はありません。
それが本音ですね

東京電力では、2002年以降の事故に際して騒動があり、それをなんとか
事務系広報担当者の力で乗り越えようとしてきたのだと思います。
それほど、東京電力内において、特に原子力部門は閉鎖的が当たり前で
その閉鎖的な雰囲気を払しょくするために言葉を使って説明する
広報担当者を置くということで事故以前はやってきたのでした。

私は、この石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビネタは、櫻井よしこ氏関連で読んでおり
軍人のコンビとなんか通じるものがあるなと思いました。
ほほえましい部分もそうでない部分も。

しかし、私は、この石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビがもたらした
東京電力の広報の在り方こそが問題だと思っています。
事故が起こらなければ、インターネットが発達していなければ
おそらく石崎芳行氏と増田尚宏氏のコンビを私は山下・武藤コンビ並みに評価していたかも
しれません。
たしかにこの二人の、お互い足らない部分を自然に補い合いながら、普段は憎まれ口をたたいたりしながら
信頼を築いていかれた部分は、素晴らしいことだと思います。
でも、東京電力の事務系広報担当者頼みで信頼回復しようとするにも限界があるのではないか。
それにもかかわらず、限界を認めず、
柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に向けて突っ走ろうとするところは、
後世史家によって、厳しく糾弾されるのではないかと、思っています。

堀栄三氏『大本営参謀の情報戦記』と一井唯史氏(元東電社員)のFacebook記事の並行読み

最近、軍組織と企業組織が似ているなと感じることが
多く(特に東京電力についてTwitterでつぶやいている)
今一度読み返してみたいと思う本がこの本です。

著者は堀栄三(1913-1995)氏。
この方は、東京陸軍幼年学校→陸軍士官学校(46期)→陸軍大学校(56期)を経て

※陸軍大学校とは、今でいう大学とは全く違うものです。
陸軍の高等教育機関で、少佐になるまでに入学できなければいけないという制限のもと
全国の部隊から優秀者が受験してくるところでした。
1回で入れた人(武藤章中将)もいれば、2回、3回受験も当たり前で
最後の受験でも失敗に終わってしまえば、
「せいぜいがんばって大佐になれればいいか」ぐらいの考えになるものらしいです。
つまりは陸大を出ていないと、中央部での勤務機会や
将官への途はほぼ閉ざされるらしいです。
失敗に終わった軍人のなかで、それなら部隊勤務に精を出そうとか
憲兵科に方向転換する人もいました。

いきなり大本営(参謀本部第二部)に配属されました(陸軍少佐・1943年)
30歳。

今の日本企業社会においては、ようやく難しい仕事も任せてみようと思われるぐらいかと
思います(もちろん大企業の正社員さまや、中央官庁の官僚という前提)。

当時の参謀本部では毎朝戦況報告会を行うこととなっていて
ここには、参謀総長(大将)や大臣も出席することもあったようですが
当時は次長(中将)が出席することもあったとか。
そういう偉い人が出席するとなると

「富永恭次陸軍次官が出席したときは、二重三重となってテーブルを取り巻いていた
周囲の者がさっと道をあけて、(富永)次官は地図の広げてある大テーブルの傍に立ち
あたりの周囲が一変して緊張した」

ぐらいだったことです。

堀栄三(当時少佐)は、ソ連担当の第五課に勤務してわずか二週間たらずで
いきなり有末精三第二部長(少将)から

「堀参謀は明日からソ連戦況の説明をやれ!」と無茶ぶりされました。

堀少佐はとても困惑され、
「まだソ連については詳しい地名も覚えていないので、もう少し暇をくれませんか」

恐る恐る正直な返事をした途端

「何を!そんな奴は参謀の資格はない!」というや否や、
起こった有末部長は堀の参謀懸章をひっぱった

(この写真の左側の編み込みのようなものが参謀懸章といいます。
これを上司に引っ張られたのでした)

無惨にも懸章は肩の部分の止め金が外れて、もう少しで引きちぎられそうになった。
情けないが、堀は
(※この著書内では堀栄三氏は、「堀」と称している。これはご自身でさえも客観的にみたいとする意志によるもの)
いまそれを引き受ける自信はまったくなかった。
大本営とは陸軍の俊才が集まるところであった。
俊才とはこんなときに、わかった顔をして引き受けるのだろうか。
目から鼻に抜ける人間が天下の俊才というのだろうか。
嘘でも丸めて本当のようにしゃべるのが大本営参謀であろうか。
しかし、どうもそうらしい

とにかく、じっくり型の堀は生れて初めて大勢の前で面罵された。
いずれにしても堀には、あのときあの返事しかできなかった。
出世街道をひた走りに進んできた有末部長のような幕僚型の人物とは、
こういうタイプの人物をいうのだろうか。」

「誰が、どのような手続きをしたのか、若輩参謀には皆目わからなかったが、
その翌々日、堀は電光石火の人事で第六課(米英課)に替えられてしまった。
(中略)挙句の果てに落第のような形で第六課にきてしまった。
いよいよ、米軍と真正面に取り組む情報の舞台に立たされたのであった。
迷惑だったのは、落第生を拾った第六課長杉田一次大佐だったはずだ。
実務型というか、実践型というか、人を育てて、その能力を出させるような使い方をする課長であった。」

章姫にとってはこの堀栄三氏の書物は、何度も読み返している本でもありますが、
今回久しぶりにひも解いてみて
いろいろと考えさせられました。

最近、Twitterでつぶやくことが多くなった東京電力との共通点が
まず二つ、見出せます。

ひとつは、パワハラが常態化していること。

もっとも堀栄三氏も、陸軍幼年学校(今でいうほぼ中学生ぐらい)から陸軍生活を
しているのだから、殴られるのは当たり前だろうと思うかもしれない。
陸軍の下士官世界での暴力はいろんな本で知ることもできるから
意外に思うかもしれない。
それを知らない堀氏でもあるまいに。
(陸軍士官学校を出ると、部隊に配属されるので、
そこで少しは下士官との接触もあるはずだから)

その堀栄三氏をして、これまで受けたであろう暴力・暴言を吹き飛ばすほど
有末精三参謀本部第二部長から振るわれた暴力が心身共にこたえるものであったこと。

電通社員で過労自殺された高橋まつりさんは、女子力がないことや、仕事が遅いことなどを上司に言われ続けたことをTweetされていましたが、

大本営の参謀本部での堀栄三氏や、東電の一井唯史氏が受けたパワハラというのは
やはり電通とは違うように思います。
陸軍も東電も、安全管理が第一の組織だから。

堀栄三氏も一井唯史氏も、
安全管理第一のために正直に答えり、行動しようとしたところ、
いきなり上司からの暴力・暴言があった。
頭ごなしに怒鳴られ、「なぜわからないのか?」とさえも聴いてもらえなかったところ。

ふたつは、(当時の陸軍は戦争中というのもあるが)
適性を無視した人事異動が激しかったこと。
一井唯史氏が東京電力の「無茶ぶり」な異動、組織改編と似ているように
思うのは私だけだろうか。

おそらく堀栄三氏は、「ソ連関係の情報参謀として落第」し、めでたく米英課へ異動し
そこで、よき課長・杉田一次大佐に恵まれたようだが。
一井唯史氏(東京電力)の場合もFacebookの311関連投稿から該当箇所を引用すると。

「◯賠償の第一陣として
賠償の第一陣として「産業補償協議 第8グループ」への異動辞令をもらいました
勤務地は東京都内です。
(中略)
自分が何をするのかわかりませんでした
とにかく被災企業との協議は一般個人の賠償に比べてかなり難しい業務になるだろうと予想しました
配属先が研修所だということもあり、そこから東北や関東の賠償の事業所に出張したり、
被災企業に赴いて協議を行うのだろうかと色々な想像をしました。
自分も含めて賠償業務に出た社員は会社の中では一軍ではありませんでした
賠償担当となったからには中核者になろう、もう電気事業には戻らないで30年は続くだろう賠償に身を置こう、
定年の時に賠償がようやく一段落して良かったと思えたらいいのではないか、そう考えました」
(2011年9月のこと)

「よくわからない形ばかりの研修の後、福島に請求書の書き方の応援に行き、ほとんど見たことがない一般個人の請求書を見ながら説明しました
この手の無茶振りは東京電力ではよくある話です」

一井唯史氏(東電)も堀栄三氏(陸軍)も、ご自身の立場を「一軍落ち」と思いながらも
新しい職務に意味を見出そうとされておられます。、

賠償業務が30年以上も続くと考え、その分野の第一人者たらんとされた一井唯史氏(東電)ですが、
与えられた場所、権限は以下の通り。

「研修所となっている元東電学園(全寮制の高校)の教室には電話機が用意されていました
マネージャーから説明がありました
「皆さんにやっていただく仕事は審査結果にご納得をいただけない被災企業からの問い合わせ対応です。担当地域は全エリアです。」
「謝罪をして審査結果にご納得をしていただけるまでご説明をしていただきます。
協議グループではありますが、皆さんには審査内容や審査金額を変更する権限がありません。」

その後どのように職務が変わっていったのかは、こちらに詳しいです。

「平成23年9月~平成25年6月末までの約2年の間、法人部門の賠償業務に携わりました。
2つのグループでグループを代表する役職を歴任した後、
平成25年2月18日~平成25年6月末までの約半年の間、
法人部門の賠償組織を代表し基準の責任権限を有する産業補償総括グループ基準運用チーム6名のメンバーとして、
複雑で難易度の高い賠償案件の相談を受けて賠償可否の判断や方向性の指南を行い、
法人賠償11グループ約450名を統括する重要なチームで賠償の指南役を務めました。」

研修所が新しい職場となってから、平成25年6月までの約二年間に
権限なしの謝り部隊(被災された企業様担当)
→二回のグループ変更(事実上の職務変更)
→法人賠償業務の指南役と、

この文章だけでもどれだけ東京電力が原子力事故対応だけでなく、賠償業務においてもまた
場当たり的であったかが読み取れます。

一方、陸軍は
堀栄三氏が異動となった米英課は、米英と戦争をしているのだから
さぞ、重要な職務なので、情報集めのための準備が十分にあったのでは思うのが、おそらく世界の常識だと思います。
しかし、米英課は、
「これが戦争の真正面の敵である米英に対する情報の担当課かと疑われるほど粗末であった。
杉田大佐は、(中略)泥縄式という言葉をあちらこちらで使っているが、
この人事や第二部の改編の目まぐるしさは、泥縄の見本のようなもので、(中略)
底流を見つめると、日本の国策を決定するための基礎となる最重要な世界情勢判断の甘さが大本営自身をも翻弄していたことがわかる。
その挙句、大本営は周章狼狽する。打つ手が後手後手になっていく。
そのツケは当然ながら、第一線部隊が血をもって払わなければならなくなる。」

この文章は、本当に、戦争に負けたあと、原子力の事故まで起こした21世紀の我が国において、
失敗の本質はいまだ変わっていないし、それにさえ気づかないふりをしようと
していることを、深く、深く教えてくれます。

今回は、Facebookなどで記事を拝見している一井唯史氏(元東電社員・原子力事故賠償)の文章と並行しながら、
堀栄三氏の『大本営参謀の情報戦記』の一部を読んでみました。
改めて、堀栄三氏の言われていることは、現在日本においてもまだ「新しい」ことに
残念ながら気づかされました。