【加筆】「文学博士」渡辺錠太郎

年末といえば・・・
シスター渡辺和子さんが亡くなられて一年がたちました。
早いものです。
昨年年明けの岡山で執り行われたお葬式に行きたかったけど残念でした。

というわけで

久しぶりに渡邉錠太郎大将ネタです。

EPSON MFP image

以前のブログで、少し書いていたのですが、躓いてしまいました。

文学博士。

その文章に加筆修正したいと思います。

先日、私のTwitter友のねがらく(@etaenaldoutei)さんが
旭川に旅行に行かれました。
その時のTweetです。


私は、ねがらくさんが旭川に旅行に行かれたのが羨ましくてなりませんでした。
私も旭川に行けたら、絶対に「北鎮記念館」に行くぞと
新たに行きたい場所に加えました。

ねがらく(@etaenaldoutei)さんからの教示です。

それでよかったのか・・・。
いや、もしかしたらあの渡辺錠太郎大将のこと、もっと深い意味があったのではないか?
と思いましたが、まあ、ここでは置いておきます。
おそらくそんな意味かというところまでは、なんとか私も理解はできました。
渡辺錠太郎大将についていくのは難しいことです。

ところで、渡辺大将は、「文学博士」とあだ名されていました・・・。

これは褒め言葉と思いますか?

私は、渡辺さんが、陸軍部内で「敬遠」されていたことを示すエピソードではないかと思っています。

渡辺さんは、とにかく「学ぶことが大好き」でした。
強制されて学ぶということがなかったようです。

軍人としての俸給の何割かを、丸善への支払いに充てていたといわれるのは
有名なエピソードであります。

ふつうは、飲み会でのネタだったりするほうが、人間として魅力があるように
とらえられがちなのですが、その辺のネタはあまりないようです。

それよりも、どのような環境の中においても並外れた学習意欲を生涯持ちづづけた「天才」という意味で
「文学博士」とあだ名されるに至ったようです。

多分、こんなニュアンスで・・・。

勉強なんてするよりも大切なことだってあるしぃー
ただでさえ、堅苦しい軍人生活から離れてもまだ、勉強するってエライよねー
でもマネしたくないし、あまり近寄りたくない・・・

私も、無理に勉強して知識を誇示するのは嫌だと思っています。

好きなことが勉強で、ある分野を(誰が何と言おうと)追求している姿は好きです。

渡辺大将の場合は、本当に趣味が勉強と言える人だったのだと思います。

渡辺大将は、本当の学者のような勉強はしていなかったと思いますが、
戦史や航空、気象、ドイツ、国際関係に関して、マスコミのいう事をうのみにせず
関係書籍を丸善で探しまくり、いつでも勉強するという体制をとっておられたようです。
その縁で、学者の友人も多かったようです。

渡辺大将に関する勉強ネタは、このようなものがあります

  • 4歳の頃、菅原道真の話を聞いて感動し、家中に「天神」の文字を書きつらねて
    家族を困らせた
  • 農家兼タバコ屋に生まれたため、家業の手伝いが終わった夜に勉強してたら夜更かししてしまった。
  • 家業のため、中学に進学できなかった渡辺さんは、
     中学に進学した友達の教科書を一年遅れで全部貰い、それをマスターした。
  • 大好きな勉強を続けるためにどうしたらよいか考えた結果、陸軍士官学校に合格することだと思い立った。
  • 徴兵適齢(20歳)を迎えた渡辺さんは、陸軍士官学校の願書を提出しにいったところ、役所の担当者から
    「中学も出ていない者が、陸軍士官学校を受験するなどとんでもない!」
    と言われ、(愛知県岩倉町)町長からじきじきに訓戒を受けた。

    それでもあきらめず受験したら、第三師団(在名古屋)の受験者中トップ合格だった!

    これで、華々しく「郷土の誇り」として、陸軍士官学校に入学できると思いきや、
    家族からも親戚からも「家業を見捨てるのか!」と言われ、
    送別会さえも開いてもらえなかったとか。

    能力ある故に、「はみだし者」とされる苦しみに直面していたのでした。

    同様な苦しみは、形を変えて、娘の和子さんもご経験なさったとのこと。

    によると・・・

    昭和20年代に、当時の女性としては珍しく、
    上智大学に勤務しながら、上智大学大学院を卒業なさった和子さんは、
    思うことがあって、修道女になられました。(30歳ぐらいの時)

    多分、修道院側も、大学などを経営しているので、和子さんのような方を
    将来の経営者兼教育者として頑張ってもらいたいと期待し、
    修道院に入ってからすぐに、アメリカに派遣され、そこでなんと
    博士号を取得して岡山にあるノートルダム清心女子大学教授要員として戻ったところ、

    誰一人として喜んで迎えてくれる人がいなかったとか!

    「博士さんのくせに、ふきんのたたみ方もわからないのですか!」
    と嫌みを言う姉妹(修道女)はあっても。

    修道院も、軍隊もなんだか「人間の集う場」なのだと考えさせられました!

シスター渡辺和子さん帰天す

昨日、片柳神父様(イエズス会・マザーテレサの導きで司祭を目指されたという方)のFBのウォールで、なぜかシスター渡辺と片柳神父様のツーショット写真があったので、なぜなのだろうと思いながら、寝たのですが。
朝起きたら、
「渡辺和子さんが死去 岡山のノートルダム清心学園理事長」
という記事が出ていて
そういうことだったのか・・・、と思いました。

学校法人ノートルダム清心学園の理事長を長く務められた方です

シスター渡辺といえば、この書物で有名です。
「置かれた場所で咲きなさい」

私はそれ以前に、PHPからの文庫本時代からの読者でありました。

この本を始めに、何冊読んだかわかりません(しかし、身にはついてないかと思います・・・)
シスター渡辺のお父様が、渡邉錠太郎大将であることから手にしたのですが、
シスターのお言葉に勇気付けられたというのもあります。

よくシスター渡辺ご自身が、「なぜ修道女におなりになったのですか」と質問されると書かれていました。
以前は、お父様・渡邉錠太郎大将が目の前で青年将校に銃殺されたからということから
世を儚んでと思われていたこともあったらしいです。

カトリックのミサにごくたまに与るだけの求道者である私には
なんか違うなと思いました。
修道院って、世を儚んで入るような場所ではないらしい。

そう、平安貴族のある者が、かつて世をはかなんで出家したとかいう話がたくさんあるので
そのように捉えられるのも我が国ではごもっともではあるかもしれない。

いろいろ、シスター渡辺や、お父様渡邉錠太郎大将のことを知っていくにつれ、
シスター渡辺は、二・二六事件でお父様が殺されていなくとも
いずれは修道女という道を選ばれたのではないかなあと思っていました。

私は以前より渡邉錠太郎大将についてのこの記述が心に残っていました。
渡邉錠太郎大将と仲が良かった朝日新聞記者・高宮太平氏の渡邉錠太郎大将評です。

より。

高宮太平氏は、陸軍部内で二人の軍人を高く評価していました。
一人は、永田鉄山中将(軍務局長の時に中佐に惨殺された)、もう一人が渡邉錠太郎大将。
この二人が生きていれば無謀な戦争は避け得たのではないかということで。

高宮太平氏は、渡邉錠太郎大将を最初、学者肌でおとなしい人と見ていたらしい。
接触して話を聞くようにしていたが、渡邉大将は陸軍部内の人間関係には触れず、国際関係についての話が多かった。そして、航空関係については深い知識を持っていたとの印象だったらしい。
昭和10年ぐらい、陸軍部内外でいろいろな不穏な動きが起こっていた時も渡邉錠太郎大将は表面的にはおとなしく、しかし裏では陸軍士官学校の同期生である林銑十郎陸相の背後で
派閥争いを食い止めるべく奔走していたことを知ったのです。

そんな渡邉錠太郎大将を
「渡辺は内に火のごとき正義感を持ち、平素はそれを深く蔵してあらわさなかった。
けれども、一度決心すると何ものも恐れない。
それはみずから求むることのない者のみが持つ強さであった」

と評していました。
私はシスター渡辺の書物の端々に、このような強さが見られる記述に接して、
シスターはあの事件がなくとも修道院に入られていたのではないかと思っていました。

今年の四月に山陽新聞からこの本が出されました。
私は丸善で立ち読みをしただけですが・・・(すみません)
より、その思いを強くしました。

今は、シスター渡辺の永遠の安息をお祈り申し上げます。